[後編]はこちら

7月29日、アメリカ・ネバダ州ラスベガスのT⁻Mobileアリーナで行われた4団体統一世界ウェルター級(147ポンド=66.6kg)タイトルマッチで、WBO王者テレンス・クロフォード(アメリカ)が、WBAスーパー/WBC/IBF王者エロール・スペンス(アメリカ)から3度のダウンを奪い、9回2分32秒、レフェリーストップによるTKO勝ちを収めた。世界王座が4団体になった1988年以降初めての、ウェルター級全王座統一戦。何年も前から待望されたライバル対決はついに実現し、観る者を熱狂に巻き込んで、議論の余地のない答えに行き着いた。「伝説をつくるんだ」。無敗のチャンピオンふたりの純粋な願いがもたらした、尊い戦いを、振り返る。 (前後編の前編。 →後編)
文・宮田有理子 Text by Yuriko Miyata
テレンス・クロフォード Terrence Crawford 1987年9月28日、米ネブラスカ州オマハ出身。身長173cm、リーチ188cmの左右(スイッチ)ボクサーファイター。2008年3月プロデビュー。40戦40勝(31KO)。世界3階級制覇。獲得王座は、WBO世界ライト級(2014年、防衛2度)、WBO世界スーパーライト級(2015年、防衛6度)、WBC世界スーパーライト級(2016年、防衛3度)、WBA&IBF世界スーパーライト級(2017年)、WBO世界ウェルター級(2018年、防衛7度)、WBAスーパー&WBC&IBF(2023年)。男子ボクシング史上初の世界2階級4団体統一を達成。
エロール・スペンス Errol Spence Jr. 1990年3月3日、米ニューヨーク州ロングアイランド出身、テキサス州ダラス在住。身長175cm、リーチ183cmの左ボクサーファイター。2012年11月プロデビュー。29戦28勝(22KO)1敗。獲得王座は、IBF世界ウェルター級(2017年、防衛6度)、WBC世界ウェルター級(2019年、防衛2度)、WBAスーパー世界ウェルター級(2022年)。
最上級の技術と、尽きせぬ闘志
あのリングの中には、ボクシングを愛する人々が待つすべてがあったのではないか。待望のカードは、最上級の技術と、尽きせぬ勇気、闘志、意地が醸す切実感と大興奮に満ちた。
無敗のチャンピオン同士が、積み上げてきたものをオールインして戦う大一番である。どちらも慎重になって、ハイレベルでも地味な展開に陥ってもおかしくない。ビッグマッチにはめずらしくない光景でもある。今回だってそういう予想も聞こえてきた。しかし、攻防兼備の技巧派パンチャー、テレンス・クロフォード、大型の攻撃型ボクサー、エロール・スペンス、この二人はそんな浅はかな思考を持ち合わせていなかった。

6月に行われた発表記者会見から、二人の覚悟は一致している。
「デカいハートを持った二人が戦うんだ。頑張る相手の前なら俺はもっと頑張れる。愛するボクシングファンに、特別なものをお見せする」(クロフォード)
「俺は全力を尽くす。彼も同じメンタリティだ。激しい戦いを約束する。これがボクシング、という戦い。語り継がれる戦いだ」(スペンス)
そしてその言葉たちに、一寸の偽りもなかったのだ。
ソールドアウト19900人が見つめるリングでついに向き合ったふたりは、ともにサウスポーの構えで間合いを探った。緊迫の空間で、先にアクションを起こしたのは、体格で優るスペンスだ。ジャブから左ストレートをつないで、圧をかける。
不気味な静けさを保って相手を読みとるクロフォードは、ストレートのような右ジャブを軸にして、初回の終盤から左を狙い始めた。そして2回に入り、スペンスがジャブの連射、左ボディブローとアクションを増やすと、そのスキを狙うクロフォードの本能が一気に回り出す。ラウンド終盤、スペンスの右ボディジャブに左を合わせ、右をつないでノックダウン。間合いに吸い込まれるような、クロフォードのコンビネーションによる見事なダウンシーンは、このあとの展開を暗示していた。

プロキャリア初のダウンから立ち上がったスペンスは、続く3回、死に物狂いで強い左を放ち、細身のWBO王者を力でコーナーに押し込んだ。しかし、3団体王者は多くが懸念するとおり、“無傷”だったころの弾性を失っているように映った。ホープからチャンピオンになり、着々と課題をクリアしてきた俊才は、この4年ほど、交通事故や眼疾、不運が連続し、極端に試合間隔が空いた。昨年11月にも運転中に事故をもらい、この4冠統一戦は15ヵ月ぶりの実戦である。バランス、スピード、反応のズレ。以前とは違う。それでも強気なチャンピオンに、逃げの選択肢は、なかったのだろう。やり返すのだ。スペンスの闘志によって、戦いは加速した。クロフォードのワンサイド、という方向に。
自由自在、縦横無尽、クロフォードのパンチが、向かい来るスペンスのボディ、顔面をつぎつぎとらえた。5回開始後、レフェリーのハービー・ドックがドクターチェックを要請して、試合は続行。懸命に左強打を狙うスペンスは、被弾を重ねてもはや血まみれだ。そして迎えた7回。ロープへ下がったクロフォードにスペンスが大きな左オーバーハンドを繰り出した瞬間だった。スペンスがフロアへ落下する。クロフォードの右ショートアッパー、右フックがスペンスの顔面をとらえたものだった。立ち上がった手負いのスペンスは、ラウンド終了間際、クロフォードの右ダブルを浴びて再びキャンバスへ投げつけられた。が、それでも立ち上がった。どうあってもスペンスは諦めない。8回。そして9回。スペンスが放った渾身の左、クロフォードはその打ち終わりをとってテンプルに右を叩きつけると、体勢を崩したスペンスを一気に攻め上げた。レフェリーはついに、クロフォードの攻撃を遮った。手を振り、終了を告げるレフェリーに、傷だらけのスペンスはなぜ止めるのだと、すがるような目で訴える。
だが勝負は決した。スペンスは勇敢だった。ただ、望み続けた舞台を与えられたクロフォードは、ことさらに強かった。

より強い男が勝った。それだけだ。
観衆がひけたアリーナはそのまま、記者会見場に変わる。ロープが外れたリング上に、司会の台と椅子が並べられた。こうした形をとるビッグイベントではたいてい、会見が始まるまで記者たちは長い時間待つことになる。だがこの日、スペンスはそこへ驚くほど早く、静かに現れた。プロになって11年、初めてキャンバスを這った。それも三度。被弾を重ね、深いダメージを負い、29戦目で味わった初黒星のあとである。それでも、傷だらけのはずの身体と心をおして、質問に応じた。減量苦について。再戦について。この試合の前、大柄なスペンスが階級を上げようとしていたことは知られている。試合直後に口にしたとおり再戦を希望するなら、どの階級になるのか。契約上の再戦条項により、敗者は30日以内にその権利を行使できるが、戦うウェートを決める権利は勝者にあるという。
「自分の気持ちの中では、147ポンドで戦うのはこれが最後だ。願わくば154ポンド(=69.8kg、スーパーウェルター級)で再戦したい。体重をつくるのは、いつだって難しい。でもそれを今日の言い訳にしたくない。ここに言い訳しにきたわけじゃない。大人なんだ。この試合をこの体重でやると、自分で決めたんだ。今日はより強い男が勝った、それだけだ。クロフォードの何かに特に驚いたということはない。彼は思ったとおり、強いヤツだったよ。このレベルなら誰もがそうであるように、パワーもあった。スタートは悪い感じじゃなかった。でも自分のタイミングは、よくなかったね。いくつかうまくいかない部分があって、パンチの合間をとられてしまった。彼のタイミングの方が自分のよりよかったんだ。今日はより強い男が勝った。俺はなんの言い訳もしない」

初めてキャンバスを這った時の気持ちを聞かれると、ふっと目を落として苦笑した。
「ただ、反撃しなくちゃと思っただけさ。どんな気持ち、ってどういう意味で聞いているのかな。これはボクシングなんだよ」
そう言うと、壇上へやってきたクロフォードと抱き合った。すべてをさらして戦った者同士だけが共有できるものが、間違いなくある。クロフォードはその場で、スペンスがこれまで集めてきたベルトを一つひとつ、その手に返した。

勝者の言葉は、シンプルな分なおさら思いがにじみ出る。
「この勝利がすべてだ。ここにいる一人ひとりの前でこのパフォーマンスができたことを、神に感謝する。エロール・スペンスとそのチームに感謝する。みんなが見たいと語り合ってきたこの戦いを、この舞台を作り上げてくれたからこそ、俺たちは素晴らしいショーを見せることができた。ずっと言い続けてきたとおりだったでしょう。俺のことを疑ってきたあなた方、この階級では身体が小さすぎる、通用しない、と言ってきたあなた方に、それは間違っているよと証明してきたでしょう。だから今日こそは、俺のいい物語を書いてほしい。ネガティブなことは、なしでね」
再戦と、スーパーウェルター級への転向にも、言及する。
「再戦が147ポンドである必要は、必ずしもない。ウェルターは自分にとっても厳しい体重だ。すでに、階級を上げてジャーメル・チャーロ(統一世界スーパーウェルター級王者、アメリカ)に挑戦したいとも言ってきたしね」
やがて質問は、ワンサイドに進めた戦いの中身へと移る。初回のうちに自身と相手のスピードとパワーを読み取り、自分の優位を測り取って、相手に集中したという。対スペンス仕様に磨いた右のパワージャブが奏功したとも。しかし、思ったより簡単な戦いだったかという問いには、「Never.」、と語気を強めた。
「そんなことは決してない。イージーに見えたかもしれない。でもファイトは決して簡単じゃない。ものすごく大変な戦いだった。俺たちはここに心血を注いできたんだ。ラスベガスでの1ヵ月の前にプレ・キャンプを張り、長い時間、苦しいトレーニングで準備を重ね、今日この舞台に立ったんだ。この一戦のためにね。イージーだなんて、あるわけがない」
