「もう一度、僕のボクシングで勝負がしたい」  

 10月5日、元IBF世界スーパーフェザー級チャンピオンの尾川堅一(帝拳)が、東京・後楽園ホールのリングに上がる。はるかイギリスはウェールズで無冠になってから2年4ヵ月。再起2戦目から13ヵ月の空白も、歩みは止めなかった。もう一度、自分のやってきたボクシングで勝負したい。それがいま願うこと。その日が来ると信じて、36歳はボクサーの日常を生き続ける。現在の世界ランキング、WBC12位、WBOは7位。

文・写真_宮田有理子

おがわ・けんいち 1988年2月1日生まれ、愛知県豊橋市出身。日本拳法師範の父・雅一さんについて2歳から稽古。明治大学で主将を務めた。卒業後ボクシングの道を志し、2010年4月に帝拳からプロデビュー。以来ずっと、スーパーフェザー級(58.9kg)で戦っている。2011年東日本、全日本新人王MVP。2015年12月、内藤律樹(E&Jカシアス)に5回負傷判定勝ちで日本王座奪取。再戦判定勝ちを含め5度の防衛後、王座返上。2017年12月、米ラスベガスでテビン・ファーマー(アメリカ)を判定で破ってIBFのベルトを持ち帰るも、禁止薬物陽性のため翌4月に判定と王座獲得の無効が確定した。資格停止が解け、2019年2月にリング復帰。2021年11月、米ニューヨークで空位のIBF王座を賭けアジンガ・フジレ(南アフリカ)と戦い、3度のダウンを奪って判定勝ち。“幻の王座”をつかみ取った。翌年6月、挑戦者ジョー・コルディナの地元、英ウェールズで初防衛戦に臨み、2回KO負け。2023年4月に再起した。身長173cmの右ボクサーファイター。32戦28勝(19KO)2敗1分1無効試合。家族は妻・梓さん、長男・豹(ひょう)君(小6)、次男・亜陸(あり)君(小4)、三男・皇(おう)君(小3)。

 

ボクシングは、どこまでも難しい

 思えば、太っている尾川堅一に会った記憶がない。 

 この5月、ジムに訪ねた時も、変わらずすっきりとシェイプされていた。

 「いつも6キロオーバーくらいを維持してます。動きやすいし、いつオファーが来てもできるように、っていうのは常に頭にあります」

 試合は決まっていなかった。

 再起第2戦だった昨年9月の前戦。柔軟に動きまわるフィリピン人のマルビン・エスクエルドをとらえきれなかった。笑顔なき10回大差判定勝ち。その数週間後、田中繊大トレーナーに尾川の近況を聞くと、「いまジムに来れないんです」と苦笑いした。試合内容に、本田明彦会長から猛省を促されているようだった。

 本人が当時を振り返る。

「会長に“もう辞めろ!”って言われて、ロッカー片づけて帰りましたから。それから1ヵ月、2ヵ月……後輩の応援に行った時、会場で会長に挨拶したら“なんで練習来ないの? ダメだよ来ないと”って言われて、“えっ、いいんですか?”って感じで、戻りました。会長が怒るのも、よく言えば、もっとできるだろう、という期待の裏返し。世界ランクに留まれていることも、モチベーションになります。でも、試合はないままで……これほど空くとは思ってなかったです」

 一対一で初めてインタビューしたのは、2015年の春。強打のサウスポー、中野和也(花形)との緊迫を、右一撃で終わらせたプロ15戦目の後だった。日本伝統のスーパーフェザー級はそのころ、WBAスーパー王者・内山高志(ワタナベ)、WBC王者・三浦隆司(帝拳)らが君臨して、次期スター候補も多彩。一瞬に斬り込めるホープは、その一角をとっていた。日本拳法出身。2歳から鍛錬し、大学で主将を務めた強者は、快活に発言した。「バンバンと左打って、右ドーン。相手の研究はしません。感覚です」。

 そしていま目の前にいる尾川は、「変わってません。いまだに“尾川堅一”ですよ」と笑った。

 2月がくれば37歳になる。入門したころ、世界王座を防衛中の西岡利晃、日本王座からスターダムへ昇っていく山中慎介らの姿を見上げていたという若者は、ジムの現役最古参になった。次の一戦に向かって汗を流す若手たちを見ていると、ふと寂しさを覚え、自分の次が決まらないうちは、彼らが集中する時間帯をはずして練習してみたりする。そんなベテランには、駆け上がる者の眩しさとはちがう風情が漂う。そして長い年月、誠実に向き合ってきてなお深まる一方の、ボクシングというものへの畏れを、尾川は隠さない。

 練習風景には、まるでグリーンボーイのような純朴さがあった。バッグにワンツーを叩き込み、足もとを何度も確かめながら、打った後はどっちに動いた方がいいんですかね? と真剣に質問し、村木マネージャーを“4回戦みたいなこと聞くんじゃない”と笑わせた。

「本当に、わからないです。何が? 全部。日本拳法だと、やることは決まっていて、胴突き一本決めるならそのための組み立てをすればいい。でもボクシングは常に全然、同じじゃないので。言葉にできないくらい、ボクシングはわからないです。もともとボクシングに関しては無で始まっているので、会長やトレーナーに言われたことをやってみると、おぉ!って納得する。体は器用なので言われたことをその場で実行できますし。変化がつくことは面白いです。でも、自分のものになっていないから、殴られるし、何が正解かわからなくなるんです。その繰り返し。極意は、つかんでません。たぶん一生、つかめないで終わると思います。それは自信もって言えます。それくらい、難しいです」

一瞬をついて、踏み込む勇気

 根本的に、ボクシングは好きではない、と言った。

「仕事、ですから。寿司を作るのか、焼き肉を作るのかを選んだ職人さんと同じで、僕は、何なら世界で一番になれるか、って言ったら、格闘技。べつの勝負ごとで一番になれて、メシが食えるならそっちを選んでたかもしれないけど、僕は蹴りも投げもできない。やっぱり“手”だけなんで。拳法でパンチなんてもらったことなかったし、手だけなら負ける気がしなかったんです。それだけは、絶対に自信があったんで」

 授けてくれたのは、父だ。今の自分があるのは父のおかげであることは、間違いない。

 父・雅一さんは日本拳法師範。母・明美さんは黒帯、2歳上の姉と8歳下の妹は全国チャンピオンという拳法一家の長男は、2歳で道場にあがり、礼儀から教えられた。物心つく前。最初の記憶は、幼稚園児の時に初めて出た大会で無欲のまま優勝し、ガラス製のトロフィーを落っことしたこと。審判をしていた母に報告しようと急ぎ、表彰台から転んだという。

 小学生になると毎夜、百本突きを課せられた。鉄アレイを持って右100本、左100本、ワンツー100本、胴突き100本、あわせて400本。家の廊下でただ一人。誰も見てはいない。ドアのむこうで酒を飲んでいる父に、汗だくになって「終わりました」と報告する。

「僕の踏み込みのスピードは、これのおかげ。親父につくってもらったものです。でも何がすごいかって、これを全力でやれる俺じゃないですか。自分が一番すごいと思います。親父は怖かったですよ、敬語を使ってました。いつドアが開くかわからないって恐怖はありました、けどやっぱり、ずるはできない。やり切った自分への信頼は大きかったです。スポーツは子供の時の基礎が大事。トップアスリートはみんな思ってるんじゃないですか? あのころに戻りたくない、あの苦しさはもう経験したくない、って。それくらい必死に練習してきてると思う」

 父に褒められた記憶がないという。試合に勝てば、ただ機嫌がいいだけ。そして勝負は時の運と言いながら、息子に負けは許さなかった。ほぼ勝ってきたからこそ、負けたら地獄。帰りの車中、無言で運転する父は、試合内容を思い出して腹が立ってくるのか、助手席に座っていると突然、拳が飛んできた。そんな環境のせいか、生まれつきか、筋金が入った負けず嫌いだった。学校の休み時間のドッヂボールで負けても大号泣し、体育の時間のサッカーで負けてもブチ切れた。体重無差別の日本拳法で、いつも周りより体は小さかったが、吐くほど走って足腰を鍛え、誰よりも練習した。その上で、大きな相手に勝つために欠かせないものがあった。

「勇気です」

 惑いなく、無心で、一瞬をついて踏み込む勇気。

「一瞬をつぶさないといけない。ダメなら相手につぶされちゃうわけなんで。中途半端に踏み込んでいたら相手の間合いになっちゃう。それはもうずっと練習して、磨いてきたものです。今の僕の、踏み込みの速さは、それですね。ボクシングは一発で終わることばかりじゃないので次の動きも考えなくちゃいけないですが、拳法では胴突きカウンター一本で終われる感じでしたから」

 その勇気が、尾川のボクシングの中心にある。

 代名詞というべき、一撃必倒の右。鋭い踏み込みとともに間を突き破る拳は、ここぞという時をとらえ、新人時代からファンを魅了した。ことサウスポーに対して、インサイド真っすぐなその右が決まる印象がある。中野を3回で打ち取り、2015年9月、初めての世界ランカー挑戦で、無敗のデイビ・フリオ・バッサ(コロンビア)を、最終回に仕留めた。

 サウスポーに対する得意意識はないという。

「ただ、右相手だとぶっ倒したい気持ちが強くなりすぎて空回りすることがあるけど、対サウスポーは、やることが決まってます。一気に距離をつぶす。それがないと勝てないと思います。踏み込めないから勝てない人は、たしかにたくさん見てますね。サウスポーは右相手に慣れているから自分の立ち位置をつくれるんで、それをつぶしに行くにはもう、突っ込むしかないんですよ。いかに踏み込めるかで決まる、っていうシチュエーションになるので。立ち位置、足の位置だけは注意しなくちゃいけません。らくして内側に入れちゃうと、それはサウスポーの罠ですから。外をとるのはめっちゃしんどいですけど。遠いし、踏み込まないといけないリスクもある。それは、経験してきてわかるところです」

 そして大注目の日本王座初挑戦でも、世界を見据えるサウスポー、内藤律樹(E&Jカシアス)から、初回にダウンを奪ってみせた。

 父からの「おめでとう」を、聞くことはなかった。日本チャンピオンになったら認めてやる、と周りに言っていたらしい父は、内藤戦の1ヵ月前に亡くなった。もともと持病があるのに大酒飲みで、たばこ1日4箱。トラックの運転手で家族を養い、仕事のあとに道場に出ていた父は、ずっと体はつらそうだった。杖をついてバッサ戦を観に上京したのが、客席に座った最後。だから最終回にKOできてよかった、と思う。そして大注目の中、日本タイトル初挑戦でベルトを巻いて、リング上で父を呼び、墓前に報告した。なぜあれほど厳しくされなければならなかったのか、一人息子は今でも理解しきれない。ただ、毎夜、酔いつぶれる嫌いだった父の姿より、思い出すのは、どれほど深酒をしても翌朝は真っ暗なうちに布団を出て、家族を起こさぬように一人、仕事へ出かけていく背中だ。すごいな。寝床から、幼心に感じていた。

 一家を支える身であり、愛する家族の存在に支えられていると感じる時、そんな父の姿に思いを馳せることができる。

「親父は頑張っていたんだと思います。仕事は一度も休まなかった。雨の日も、仕事があるかわからなくてもかならず出勤して。家族が寝てる間に。やっぱり家族、まわりに大事な人がいる強さって、あると思います。僕は、独り身だったら確実に、ボクシングもう辞めてます。それは、確実です。一人なら心がもたなかった。いろいろ、ありましたから」

喜びも悲しみも自分だけのものではない

 ボクシングに転向したころ、自信だけがあった。幼い日から鍛え抜き、日本拳法で自分より大きな相手に勝ってきたのに、同じ体重で戦って負けることなど考えられなかったのだ。

 2010年4月、東京・日本武道館で長谷川穂積、西岡利晃のダブル世界戦の前座でデビューし、翌年の東日本新人王、全日本新人王ともMVPを獲得。だが順風に乗るハードヒッターに、最初の試練は来る。2012年8月、日本ランカーとして2戦目の8回戦で、三好祐樹(FUKUOKA)に顎を割られた。ボディを打った時に左フックを合わされた瞬間、相手がその一発をずっと狙っていたんだとわかった。鋭い衝撃が顎を縦に貫く。ダウンは拒み切り、痛みを隠し、血を飲み込みながら戦ったが、口の中で骨がじゃりじゃり音を立てた。5回TKO負け。

「相手も効いてたし、もう少し続けたら勝てたかもしれないですが、ドクターに止められて、実は少し安心した自分がいました。負けたんだとすぐ理解できず、シャワー浴びていたら涙が止まらなくなりました」

 あんな思いは一度で十分。勝ち続けるしかない。チャンピオンになれる人だからと、妻は信じてくれている。

 10ヵ月後の再起から、三好を初回に前のめりに倒し切った再戦を含め、世界ランク入りを決めたバッサ戦まで7戦連続KO(TKO)勝ち。そして尾川は内藤に挑むことになる。

 

 活気づく階級で、内藤は金子大樹(横浜光)が返上した日本王座に就いていた。のちのWBO王者、伊藤雅雪(伴流→横浜光)を僅差判定で破り、熟練の荒川仁人(ワタナベ)との左対決にも勝ち、世界を見据えた技巧に優れたサウスポーと、対照的なKOアーティストによる世界ランカー対決。二人は何度もスパーで手合わせしていた。「パンチ以外、ぜんぶ自分が上です」と内藤が言えば、尾川は「やっぱ速いんですよね。パンチのスピードというか体のスピードというか。柔軟だし」と認めた上で言った。「ヒット率1割で勝てますから」。2015年12月、戦いは果たして、初回終盤に尾川が右ストレートをボディから顔面へ返してダウンを奪う、劇的な展開となる。その後、流れは交錯した末、激しいバッティングによる内藤の負傷で5回で終了。負傷判定勝ちも、初回の強烈な印象をもって、尾川は最初のチャンピオンベルトを巻いた。

「日本タイトルのころに初めて、長男と次男をリングに上げました。パパが試合するたびに勝って、みんなにおめでとうと言われるのを見ているのは子供心に嬉しかったと思います。周りから“パパはチャンピオン”って言われて子供たちも気持ちいいでしょうし、子供たちは物心ついたときから、僕の勝つ姿しか知らない。“パパは負けないよ”って信じてる。子供たちが誇れるお父さんであるっていうのは、大きなモチベーションです」

 喜びは自分だけのものではない。そして悲しみもまた、自分だけのものではなかった。

 2017年12月9日。

 アメリカ・ラスベガスのマンダレイベイリゾートで行われたIBF世界スーパーフェザー級王座決定戦。

 ジャーボンテ・デービス(アメリカ)の体重超過・剥奪により空位のままの王座を賭けた戦いで、守りに徹するサウスポー、テビン・ファーマー(アメリカ)に、尾川は鋭い出入りで右を狙い、プレッシャーをかけ続けた。2-1の判定勝ち。WBA世界スーパーウェルター級王者・三原正(三迫)以来、日本人36年ぶりとなるアメリカでの世界王座獲得。帝拳初のIBF王座。手作りベルトをお守りに持たせてくれた子供たちに、本物の赤いベルトを持ち帰った。地元にも凱旋報告。しかし幸せは束の間、それらはすべて幻になる。

 禁止薬物陽性反応の知らせだった。日本ボクシング界に前例のないニュースは、1月20日に公になった。前夏の抜き打ちテストや試合後の検査も陰性だったにもかからず、試合4日前に採取されたサンプルだけになぜか合成テストステロン陽性反応が出たというもの。もちろん身に覚えはない。医療薬やサプリメント、食事内容、遡れるデータはすべて提出したが、該当物質の摂取源は特定できないまま。真摯な協力姿勢は伝わり、ネバダ州は資格停止期間を当該試合日から6ヵ月、JBCは1年、という裁定を下した。ショックをもって業界のドーピングへの意識を変える出来事。当事者は、大きな痛みに耐えなければならなかった。子供たちに、ベルトがなくなってしまうと伝える時、涙が止まらなかった。到底、忘れることはできない。

「あの時の感覚は、消えることはありません。心は、折れてましたよ。いろいろ言われましたし。辞めたかったですもん。妻と子供たちに助けられました。辛い思いをさせました。一番は妻です。“私たちの中では、勝ったことは事実なんだから”と言ってくれました。サスペンド中は無収入ですから、貯金を切り崩しての生活です。そしてあの“時間”も、取り戻すことはできません。ファーマーに勝った、っていう経験は、ものすごく大きなものだったんです」

 初めての海外で、ジャッジもレフェリーも相手も全員アメリカ人。何より、ファーマーは強かった。意識を飛ばされた瞬間もあった。

「あの状況で、あの戦いを勝ちにつなげられたっていう自信。気づきというか、ボクシングってものをつかんだ感覚があったんですよ。あそこでチャンピオンとして防衛戦ができていたら、めちゃくちゃ強くなれたはずなんです。だから本当にそれが、後悔ですね。一番充実するはずの時にリングに上がれず、一年を棒に振ってしまった。あの一年があったら本当に、“井上尚弥”を超えられたと、思ってます」

 2019年2月、1年2ヵ月ぶりに実戦復帰する。

 再起3戦目からは、3人の息子の名をトランクスのベルトラインに入れてリングに上がった。サウスポーのWBOアジアパシフィック王者ジョー・ノイナイ(フィリピン)に挑むも、激しいバッティングでともに酷い傷を負い、5回負傷判定引分で、王座獲得はならなかった。やがてコロナのパンデミックが世の中を覆い、2020年10月、観客制限中の後楽園ホールで戦った元日本ライト級王者・西谷和宏(VADY)とは、ダウンを応酬。判定勝ちを収めたが、3回に人生初ダウンを食った尾川を見て、田中トレーナーは感じたという。「ダメかな、と思うくらい効いてましたね。でも逆に、あの状況でラウンドをしのぎ切るのはすごい。小さい時から鍛えた足腰の強さと、格闘センスだなと思いました」。傍目には芳しくは見えなかったかもしれない再起の道も、尾川自身には価値あるものだった。

「難しい試合は、経験として糧になりますから。1年空いたことや、コロナ禍の状況で、自分の中の感覚のズレを埋めるには時間は必要でしたし。その分、考えることだったり、ボクシングに対する気持ちっていうのがどんどん変化して、心の余裕も持てたと思います。勝ち続ければ、チャンスは来る、と、我慢することができました」

 2021年11月27日、感謝祭の週末、アメリカ・ニューヨーク、マディソンスクエア・ガーデン・シアターで、尾川はIBF王座決定戦に判定勝ちし、あの時の赤いベルトをその手で取り戻す。

 当初の予定は8月。アラブ首長国連邦・ドバイに赴くところ、試合2週間前に対戦者シャフカッツ・ラヒモフ(タジキスタン)の負傷で突然の延期。落胆を乗り越えて、ニューヨーク決戦に向かった。好戦派ラヒモフとは逆タイプの懐深いサウスポー、アジンガ・フジレ(南アフリカ)に相手も変更された。雌伏4年。待ち望んだ舞台に辿り着いた尾川は戦いを前に、自分にとってあの時の勝ち名乗りは幻ではない、と言った。

「僕自身はファーマー戦で、自分の強さをある程度証明できたと思っているんです。世界戦で勝った、あの興奮は忘れていない。それをもう一度あじわいたいという思いでやってきました。ただ支え続けてくれた人たちへの恩返しとして、ベルトを巻く姿を見せたい。まわりのサポートがなければボクシングやめてましたから。だから今回のベルトは、自分の腰に巻くよりも、“世界一の称号”として、みんなに持ち帰りたい、という思いです」

 

 熱い心がびしびしと伝わってくる戦いだった。カウンターを狙って下がるフジレを、左を突きながら凄まじい圧力で追った。5回中盤、ついに尾川の右ストレートが深く刺さる。ノックダウン。立ち上がったフジレは、鼻血に染まったまま構えをいっそう深くした。飽くことなく速いワンツーを狙う尾川に、フジレも必死。右フック、左ストレートを合わせては動き、終盤には前に出て勝利をもぎ取りに来る。そして迎えた最終回だった。採点を厳しめにみていた田中トレーナーに「ほら行け! 負けてるぞ」と背中を思い切り叩かれ、リングに出た尾川が、トップギアに入った。ラウンド中盤、リング中央で右ショートを決め、ノックダウン。傷だらけ、血だらけて戦い続けるフジレから、残り20秒弱で再び倒して、フルラウンドが終了。この最終回が、結果的に勝利を決定づけた。勝者のコールを噛みしめた後、腰に巻かれたベルトを、肩に掛け直してもらう。ベルトラインに入れた子供3人の名。リング上でその名を呼ぶと、涙をこらえきれなかった。

「家族のことを思うと涙出ちゃいますよね。ほんとなさけないですけど、苦労させたので。子供たちって言ってますけど、一番は妻です。IBFのベルトは、やっぱりこだわりは大きかったです。いろんな団体のランキングに入りましたけれど、会長はわかってくれていたんだと思います。だからここに辿り着けました。支えてくれた人たちに、僕はこうやって結果でしか恩返しできないので、本当に、ホッとしています」

 控え室に戻ると、日本で待つ人々に電話で報告した後、そう話した。ただし本当に安堵したのは、ドーピング検査すべての結果がクリアになってからだったという。

「だから実は、終わってからも苦しいものはありました。結果の連絡がきてやっと心の底から、本物のチャンピオンになりました、と報告できました」

食うべくして、食ったかもしれない

 正真正銘の世界チャンピオンになった尾川に再会したのは、翌2022年6月。ウェールズの古都だった。

 初防衛戦のため、挑戦者ジョー・コルディナの地元カーディフまで、日本から17時間半もかけてやってきたチャンピオンは、Cardiffと胸にプリントされた真っ赤なスウェットを着て、「僕は、土地に染まりますよ」と笑った。

「運命、という考え方を大切にしています。生まれた瞬間に針が動き出す人生はもうあらかじめ決まっている。だから、こんなカーディフなんてヨーロッパの遠い街に来ることも、運命です。さすがにラスベガスの後は、そう思うのに時間がかかりましたけれど。だから、誰とどこで戦うことにも動じない。もちろん結果を受け入れるためには、その過程、練習ですね、それを自分で納得できていることは絶対です」

 そう語ったチャンピオンは、「年下に負けたら終わりですよ、ずっと言ってるでしょ」と。体育会気質の尾川節は快調に聞こえた。ショッピングセンターの吹き抜けに設えられたリングで軽く動きを披露した後、控え所でコルディナと初めて対面。二人が肩を組んで並んで収まった写真に、ライト級から落としてきた4歳年下の挑戦者は、やや、大きく映った。

「チャンピオンになって、恩返しはできたと思う。ここからは自分のボーナス・ステージです。子供たちが友達にパパすごいね、と言われて誇らしげで、子供たちのスーパーヒーローであり続けたいとも思いますし、海外で評価されて稼ぎたいというのもありますね」

 しかし。

 なかなか暮れない夜に、見事な二重の虹が出た翌日。満員5000人の地響きのような大合唱に包まれたリングで、尾川はコルディナの一撃に敗れた。2回。フェイントを入れて狙い撃たれた右ショートだった。体を起こし、立ち上がろうとして、フロアを転がった。「飲まれましたね……。コルディナ選手が強かった。それがすべてなんですけど、自分自身の硬さ、実力のなさを痛感したというか。僕はいつも、びびったら負けだと思っているんですけど、やっぱちょっとびびったんですね。リング上がってびびって、それがやっぱりそのままボクシングに出たっていうのが全てだと思うので。納得です。そして一番は、アゴで倒された、ということですよね。自分のタフさを信じていたので。悔しいですけど、これが今の自分かなという思いは強いです」、そう控え室で日本のメディアに語った尾川は最後、絞り出すようにつぶやいた。

「悔しいっす……」

 今、あの時を振り返る。

「ストップされたところで記憶がなくなってるので、ちゃんと挨拶して下りたのかなと心配でしたが、ちゃんと四方に頭下げてたよ、って繊大さんに聞いて安心しました。いい状態で入場できたと思っていたけれど、やっぱりどっかで集中していなかったというのはあります。あの雰囲気に、満足していた。5000人が僕を見ているわけで。開始まで長かったですしね……今さらですけど、気持ちよくなっちゃったというか。それが自分の感覚とは違って。普通にボクシングできてる感覚もあった。でも、1ラウンドの入りの感じが自分の中では、最悪で。それで、何か変化させなくちゃと思ったところで、もらっちゃった。パッと反応する時に左が下がっちゃうんですね。そこにもらってしまった。あれはやっぱり悲しい……やり直したいです。集中してれば見切れるようなパンチをもらっちゃってるのでね。あれがリング中央じゃなくて、ロープ際だったら、ロープつかんで立てたと思うんです。西谷戦がそうでしたから。立とうと思ったんですけどね。あれは、僕が倒れたんじゃなくて、地球が傾いたんだ、っていまだに言ってるんです。

 今となっては、あのパンチは、食うべくして食ったと、納得できる部分もあります。準備の最後の部分で、100パーセント仕上がったという気持ちになれていない自分がいました。それでも、自分は勝つ人間だと。ぜったい勝たなきゃいけない、ではなくて、負けないっしょ、みたいな。タイトル初挑戦の相手との覚悟の差、だったのかな。結果論ですけれど、もっとできたんじゃないかと、思ってしまいますね。もしも、完璧に仕上げてあの負け方をしていたら、すんなり身を引いていたかもしれません。一言で言って、悔しいです。こうやって話すとなおさら、悔しいです」

 

 強行軍で現地入りした妻はリングサイドで泣き尽くし、周りの人たちから慰められ、あなたの旦那さんは勇敢だったよと抱きしめられたと言った。帰国する機内では、ぼんやり考えていた。チャンピオンになって、嫁にも子供にも一度はベルト見せられたんだし、恩返しはできたと思う。これで終わりだな。年下に倒されるなんて、終わりだな。オレってこの程度か。オレがアゴで倒されるなんて。アゴ折られたって、倒れなかったのに。これが今までのダメージなのかな。怒られるかな、会長に……。

 家に帰り着き、子供たちの顔を見たとたん、一緒に号泣した。テレビの中でパパが倒され、泣きじゃくっていたという子供たちに、ごめんね、しか言えなかった。号泣した記憶しかない。

 もう辞めなければならないかもしれないと伝えたが、子供たちはパパにボクシングを続けてほしいと願っていた。

「すぐに答えは出せなかったです。格闘技を長くやりすぎて、もう好きとか嫌い云々の感情とは、違うんです。生活の一部、いや自分自身そのものなんで。なくなったら、寂しいと思うんです。けど、寂しいと同時に、逃げたいというか、解放されたいという気持ちがどこかにあって、だから負けた時、やめられる、ってたぶん思ったと思うんですね。やっぱり朝起きた瞬間からプレッシャーを感じている。チャンピオンの意識を得てからですね。内藤君との一戦から。あの時、初めて注目されて、血便も出たし、でもやっぱりだから、練習内容含めて、大きく成長できた。それからずっと、朝起きたらボクシングの心配。試合で勝ちたいから。プレッシャーがあります。でも絶対に、なくなったら寂しい。やめるのを誰かが止めてくれるだろうって、正直どこかで期待してたかもしれません」

 もう一度やりたいと会長に伝えた時、覚悟した。あの場所に戻るのは、どれだけ大変か。それでも自分のミスで落ちてしまったなら、練習して練習して、待つしかない。続けると決めたからには、悔いを残さないと誓った。復帰を決めるとともに、痛みを隠していた肩の手術に踏み切り、今は万全になった。会長は海外のプロモーターに、オガワはいつでも受ける、と伝えてくれている。

 最後の挑戦は、今の自分を受け入れることから始まる。

 ボクシングはきっと、最後までわからないままだ。

「メイウェザーのボクシング、井岡一翔君のボクシング、見てて本当に面白い。ずっと、見続けられます。自分のボクシングをわかっているってことに尽きます。自分を制御できるあの感じ、それをやり切れるところですね。自分とは180度違う。僕は、ボクシングをわかってないから、いろんなことをしたくなって、教えてもらえるとありがたいんですが、やっぱり、僕のボクシングは、バンバン、ドーン、なんですね。もちろん自分の中ではすごく繊細に考えているんですけど、結局、バンバンっていって、ドーン、なんです」

 20代のころとは違う。体の衰えは確実に感じている。それでも毎日毎日、パンチと体のキレを磨いていると、その“ドーン”の踏み込みは、できると思える。

「勇気です。スピードと勇気で、踏み込める。繊大さんと言ってます。踏み込めなくなったら、終わりだな、って。やっぱり、この踏み込みがあるから、世界に行けたと思うんです。会長からは、変わらなきゃ試合組まないぞと言われているので、そのせめぎあいでもあるんですが……肩も万全だし、ガードすることも覚えました。だから、もう一度、僕のボクシングで勝負がしたい。今を、ぶつけてみたいんです」

 その日のために、今日も明日も、ボクサーとして生きる。

 尾川堅一の、勇気が放つ右が見たい。 

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