DRY EYE~非感情的ボクシング論~

第12回 2026年度上半期の個人的ベストバウト5+α

Personal Best Bouts in the first half of 2026 <後編>

文_増田 茂 Text by Shigeru Masuda

Number 2 シャクールのブレない哲学に浸る

WBO世界スーパーライト級タイトル戦
1月31日/アメリカ・ニューヨーク州/マディソンスクエアガーデン
シャクール・スティーブンソン(米/WBCライト級王者)
12ラウンド判定(3-0)
テオフィモ・ロペス(米/王者)

 井上尚弥(大橋)対中谷潤人(M.T)戦に次ぐインパクトを受けたのが、このハイテンポ・マッチ。攻防パターンはいたってシンプルながら、それが逆に“THE DAY”を上回る展開スピードをもたらしていた。

打たせず打つ美学を貫徹したシャクール(右)

 端的に言えば、打ち抜かずに弾くジャブに特化したスティーブンソンが、ジャブ勝ちしながら右はほとんど牽制の見せパンチ。井上のようにその先に踏み込むことなく、リスクを負わずキレイに締め括った一戦だった。
 スティーブンソンが打ち出したパンチの総数は372発。その68%にあたる252発がジャブで、キャリア・ハイの105発をヒット。総ヒット率44.4%。ジャブのヒット率41.7%。ジャブだけで勝てる試合のモデルケースだ。
 パンチはシングルブローが大多数を占め、3発つないだコンビネーションは9ラウンドの左ストレート→右フック→右ジャブと、11ラウンドの右フック→左フック→右フックくらいで、リターンブローで食いつくいとまも与えない。焦れたロペスがいくら仕掛けて出ても、まったくつき合おうとはしなかった。
 高度な領域でスティーブンソンの哲学が確立されており、その手際の良さと強弱の加減を究めたジャブのクオリティの高さに、まったく飽くことなくフルラウンドを見続けた。点(パンチ)と線(ステップ)の織りなすデリケートな構成美すら感じさせられたのだ。
 実際のところ、ハンドスピードに関して言えばロペスも大きく劣ることはないのだが、その自意識から意地になってスピード勝負に乗ってしまった時点で勝負は決していた。
 いかんせん、トップスピードでは攻防共にコントロールが利かない。パンチは先ブレしてフォームは崩れ、ジャブの格好の標的になっていた。ロペスはノーコンの速球ピッチャーであり、または直線では速いがコーナリング技術で劣るレーサーのようなものだった。

 スコアはジャッジ3者共に一致して119対109。総ヒット率15.4%。ジャブは僅か7%と数字上はワンサイドに打たれたロペスだが、メンタル面はともかくフィジカル面では深刻なダメージは皆無だった。その点では、今日のプロボクシングのロールモデルのひとつと言える試合だったろうか!? 知らんけど。

Number 3 時には熱量が品質を凌駕する

IBF世界ライト級タイトル戦
1月24日/アメリカ・ネバダ州ラスベガス/フォンテーヌブロー
レイモンド・ムラターリャ(米/王者)
12ラウンド判定(2-0)
アンディ・クルス
(キューバ/1位)

 個人的に最も溜飲が下がったのがこの試合。オリンピック東京大会で金メダル。世界選手権はライトウェルター級で3連覇し、レコードは140勝9敗。近年最高のアマチュアボクサーとの評価があり、対戦相手への上から目線が試合態度に出るクルスにひと泡吹かせたムラターリャは、前半の殊勲・敢闘賞ものだ。

クルスのすまし顔を消したムラターリャ(右)

 打ち出したパンチの総数だけは611対537と上回ったものの、総ヒット数は175対176。総ヒット率は28.6%対32.8%。ジャブのヒット率26.9%対20%と、COMPUBOXの計測ではいずれも下回っていた王者に勝利をもたらしたのは、そのコンスタントプレスだった。
 ジャブのスピード、タイミング、アングル。ジャブに被せるダイレクトライト。ガードを割って差し込むショートアッパー。そうした個々のパンチのクオリティでは確かにクルスに分があったが、上体を小刻みに振ってガードを固めながら深く踏み込んで逡巡なくパンチを打ち出し続けるムラターリャに、クルスは後退とサイドチェンジを強いられ続けた。腰が立って手打ちのパンチが多くなり、効果の点で差し引いて考慮せざるを得なかった。
 アマチュアレベルの、ダメージングブローとは言えないがポイントにはなる程度のパンチでは、ハラを決めたムラターリャのプレスの抑止力とはなりえず、クルスは相打ちのタイミングでは概ね打ち負けていた。
 そのまま中盤を迎えると、さすがにクルスから余裕が消えた。逆に序盤からタイムリーに打ち出していた左ボディ、6ラウンド終了間際の左アッパーなど、ムラターリャのクリーンヒットが目立ち始めた。ムラターリャのボクシングには終始変わらぬ一貫性があった。
 そんな展開にあってなお、右を当てると右腕を上に挙げてヒットアピールしたクルスに思わず苦笑を禁じえなかったものだ。

 最終的なスコアは118対110、116対112、114対114と存外に割れたが、一進一退から抜け出して最終局面を確実に押さえたムラタ ーリャの勝利は明らかだった。

Regional Limited Edition/地域限定版
リ・マッチに向けた上質な通過儀礼

■WBC世界バンタム級タイトル戦
5月2日/日本・東京/東京ドーム
井上拓真(王者/大橋)
12ラウンド判定
井岡一翔(4位/志成)

WBC世界バンタム級王座挑戦者決定戦
4月11日/日本・東京/両国国技館
那須川天心(帝拳/2位)
9ラウンド終了TKO
ファン・フランシスコ・エストラーダ(メキシコ/1位)

 では、日本で井上対中谷戦に次ぐ試合はというと、まず思い浮かんだのがこの2試合。

もはや「井上尚弥の弟」ではない 写真_山口裕朗

 確かに言えることは、井上拓真、那須川天心の両者にとって、これまでのベストバウトであり、前者は本年度の年間最高試合候補、後者は「世界戦以外枠」の同候補としてノミネートされることは確実だろう。一方で、敗者たちについての試合前の紹介報道には持ち上げすぎの感も否めなかった。
 井上の同級防衛戦の挑戦者として、井岡はジェルウィン・アンカハス(比)と共通点がある。共にフェルナンド・マルティネス(亜)に連敗した後にクラスを上げてきたことだ。その点では、スーパーフライ級最終試合でジェシー・ロドリゲス(米)にボディでKOされているエストラーダも同様である。さらに試合中継ではエストラーダを元PFP上位のボクサーと紹介していたが、実際は22年5、6月の2ヵ月間だけの5位が最高位だった。
 このところ「レジェンド」という文言がバーゲンセール状況にあるが、ピークを過ぎたボクサーに過ぎし日のネームバリューのゲタを履かせるような売り方は上品ではなかろう。
 井上も那須川も、決してピーク時のクオリティをキープしていた井岡とエストラーダに快勝したわけではない。とはいえ、仮に両者の対戦相手が入れ替わったとしても、勝者はやはり井上と那須川だったことだろう。

 井岡はフィジカルトレーニングで仕上げていくタイプではないが、それでもリング登場時の緩んだ身体には、井上の機動力の高さへの対応力の点で不安を禁じ得なかった。
 2ラウンドになると両者の体内メトロノームが刻むテンポの差が明らかになった。ジャブの差し合いで優位に立った井上に対し、打ち終わりを狙う井岡の右、連打は打ち出しが遅れ、井上の対応を許してしまう。
 逆にラウンド終了10秒を切っての井上の右カウンターからの7連打に、井岡のディフェンスは追いつけず、予想外に早い段階でダウンを喫してしまった。そして3ラウンド開始40秒。井岡のジャブを流し、リターンで下アゴをとらえてダウンを追加した右アッパーは、この日の井上のベストパンチだった。
 いかに動くべきか解っていても、身体は意志と意図に忠実に応じない。頭脳は以前の井岡のままであっても、肉体的にはもはやそうではなかった。一貫してプレスをかけ続け、4ラウンド終盤には左ボディを効かせたように感じられたが、筆者のスコアではそれ以外に井岡の押さえたラウンドは皆無だった。
 2ラウンドを除き、一貫してパンチのヒット数で上回り、2度のダウンを奪取。オフィシャルスコアでも平均12ポイント差。「レジェンド」にキャリア最大差の敗北を与えた井上の完勝だった。

那須川はまたひとつフェーズを上げたか 写真_山口裕朗

 一方、那須川は気負いも気後れもなく、うまく試合に入ったようだ。メンタル、フィジカル共にやや硬めだった1ラウンドを経て、自分のパンチが思い通りのタイミングと角度でヒットし効果を上げていることで落ち着きと自信を増していった。
 エストラーダの持ち弾で最も警戒すべきは、バム・ロドリゲスにも1度はダウンを与えたサウスポーの左に合わせる右だ。4ラウンドにはこれを多用して唯一のポイントを挙げた。
 だがジャブで差し勝った那須川は、イン・アンド・アウトもサイドチェンジも速く、離れても接近しても打ち勝ち、試合はそこからワンサイドの様相を呈していった。
 那須川のベストパンチは、左アバラ骨2本をへし折った右ボディではなく、6ラウンドに幻のダウンを奪った左ボディだ。そして、このボディのダメージを一瞬で同時発生のバッティングにすり替えた手口は、この一戦でエストラーダが見せた最高のスキルだった。
 9ラウンドを終え、十分すぎるダメージをため込んだ「レジェンド」は棄権を余儀なくされた。那須川の個々のパンチの効果は、キャリアベストと言って差し支えなかろう。
 9月27日の井上対那須川の再戦は、国内下半期屈指の注目カードだが、再戦に向けたドラマツルギーがここまでシナリオ通りに奏功しようとは、予想を大きく超えていった。
 ともあれ、井上、那須川共に5ヵ月前よりも優秀なボクサーとして前哨戦を見事に片づけた。井上は基本的に変わっていないが、さらに上質に練り上げられており、那須川はより多くの部分で変化と進化を遂げていた。那須川は初戦時の井上には追いついたと思うが、2ヵ月後にどうかはまだ断定し難い。筆者は基本的に試合まで一ヵ月を切らないと、あまり詰めた予想はしないたちなので悪しからず。

IBA-PRO興行のベストバウト

■IBF世界ライト級順位決定戦
4月24日/ロシア・ウファ/レスリング・パレス
アルトゥール・スブカンクロフ(ロシア/8位)
TKO12ラウンド2分30秒
バホドゥール・ウスモノフ(タジキスタン/10位)

旧ソ連邦人同士の珍しいガチンコファイト

 元々はアマチュアの統轄組織であるIBA(International Boxing Association/旧AIBA)の運営するIBA-PRO興行は、アマ寄りのルールで傘下のプロアマ2股ボクサーをプロに勝たせ、旧ソ連邦国同士の対戦では長引くと緩い試合になりがちだが、身長170㎝のサウスポー、スブカンクロフ(34歳)と174㎝のボクサー型ウスモノフ(28歳)は終始、高い試合強度をキープし続けた。
 ジャブと左フックを散らして右狙いの元世界選手権銅メダリストのウスモノフに対し、IBFとIBAの地域王者スブカンクロフは主武器の右フックと左ストレ―トの組み合わせが多彩で接近すると左右ボディ、アッパー。パンチの精度で僅かに試合をリードしていく。
 スタイルを崩すことなく頑強な抵抗を続け、9ラウンドにベストラウンドを迎えたウスモノフだったが、続く10ラウンドにも攻勢に出たところ、右フックを食って2度ダウン。11ラウンドにも右フックでダウンを追加したスブカンクロフが、ラストラウンドにボディを効かせて連打で4度目のダウンを与えるとウスモノフ陣営が棄権の意思表示をした。
 スブカンクロフ(12勝無敗6KO)は、この勝利でIBF2位にランクを上げている。これがヨーロッパ上半期のベストバウト。

展開の派手さならこちらがナンバーワン

 一般的には、5月9日にイギリスのマンチェスターで行われた同国人同士によるWBO世界ヘビー級タイトル戦。ダニエル・デュボア対ファビオ・ウォードリーを推す声が高いだろう。1、3ラウンドにダウンを喫したデュボアが、4ラウンドから一方的な攻勢に転じて11ラウンドTKO勝ち。タイトルを奪取した。確かに壮絶な逆転劇ではあったが、技術・戦術レベルでみればクオリティバウトとはほど遠い。ウォードリーは右狙いのワンパターンに陥って力尽き、2度ダウンを喫したデュボアは回復力こそあるが、打たれモロくスピード対応力に欠ける。両者のウィークポイントが重なって生じた粗い試合で、ここで高評価するのは躊躇われた。

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