DRY EYE~非感情的ボクシング論~

第6回 インファイティング

廃れゆく“Basic Skill”を再考する

 トップステージのリングで、ボディコンタクトを厭わずに打たせず打つ、上質なディフェンス術と精度の高いショートブローを操るインファイターをみることが稀になった。威勢よくパンチを打ち出しフトコロをつきながら、頭と上体、下肢の動きを欠いて適切なポジションをキープできぬまま、クリンチ&ホールディングで膠着状況に陥りがちな「エセ・インファイター」の何と多いことだろう。スコアリングの基本的優先度がFIGHT”から“BOX”に傾いて久しい近代ボクシングにおいて、もはやインファイターは絶滅危惧種と化してしまったかのようだ。

文_増田 茂 Text by Shigeru Masuda

CHAPTER 1 井上尚弥とインファイティング 

■2024年5月6日・東京ドーム

世界を瞠目させたモンスターのダウンはいかにして生じたか
Photo by Hiroaki Yamaguchi

 東京ドームでの世界スーパーバンタム級4団体統一タイトルの防衛戦。対ルイス・ネリ(メキシコ)戦の、左ショートアッパーにリターンの左フックを合わされてダウンを喫した1ラウンド。そして、ロープ際にネリを誘い込み、時間差の左ダブルフックでこの試合2度目のダウンを奪った5ラウンドに、井上尚弥(大橋)のクロスレンジにおける攻防技術の対照的な巧拙を見る思いがした。

 溯ること5年半。さいたまスーパーアリーナで行われたWBSS(World Boxing SuperSeries)バンタム級ファイナルの2ラウンド。WBA同級スーパー王者ノニト・ドネア(フィリピン)の右フックをダッキングでかわして打ち出した左フックは右頭部を掠め、ドネアが打ち返した斜め下からの半拍遅れの左フックに反応しきれず右顔面に被弾。ダウンにこそ至らなかったものの右目上をカットし、右目眼窩底ならびに鼻骨を骨折。以後、ダブルビジョンでの戦いを強いられるなど、負ったダメージはより大きかった。

 相手にサウスポー(ネリ)とオーソドックスという違いはあるが、いずれも互いの射程距離内におけるパンチ交換時の、左の打ち終わりの隙をつかれた左フックの被弾だった。

 ドネア戦で負った右目のダメージは完治したと報じられ、以後、言及されることもなくなった。手術ではなく保存療法が選択された事実も、眼窩底骨折の程度自体は深刻なものではなかったことを意味している。

 だが筆者は、動体視力の左右バランスへの影響について懸念を払拭しきれずにいた。一方の当事者ドネアも同じだったのではないか。2年7ヵ月後に行われた再戦の試合開始早々にいきなり放った左フックは、その反応を見極める試し打ちのようにも感じられた。そのパンチは井上のガードのすき間を抜き、蝶の羽ばたき程度に顔面を軽く撫でていった。

 もっとも筆者は、アマ・プロを通じて公式戦初というダウンを井上にもたらした遠因が、“DRAMA IN SAITAMA”の2ラウンドにあったなどと思っているわけではない。

■“BOX > FIGHT”への近現代史

  井上尚弥が神奈川県座間市に誕生したのが1993年4月10日。そして初めてグローブを握ったという20世紀末、インファイティングはボクシングの攻防技術・戦術のメインストリームからはすでに外れていた。

 オリンピック・ボクシング(アマチュア)では頻繁なルールのマイナーチェンジが実施され、ボクサーは勝つためのスタイルへのモード変換を繰り返し強いられた。ポイント上、ダウンの位置づけがクリーンヒット1発と同一視されると、たとえば2、3ポイントリードされて迎えたラストラウンド終盤。ダウンを奪ったがために時間切れとなって逃げきられてしまうという皮肉な逆転現象すらみられるようになった。また、見た目の良いコレクトヒットを優先するスコアリング基準の推奨もあって、視覚的にジャッジによる効果の判別が難しく、ポイントへの訴求力で劣るボディブローやインファイティングは、必然的に廃れる運命を辿っていった。

 近年のオリンピック・ボクシングの金メダリストに、単にアグレッシブな連打型はいても、1964年東京大会ヘビー級の覇者ジョー・フレイジャーのように好んでクロスレンジに長くとどまるタイプを見出すことはできない。

 プロボクシング・ビジネスのメッカである北米のリングにBOX>FIGHT”のきっかけをもたらしたのは、1940から50年代のシュガー・レイ・ロビンソン、60年代から70年代にかけてのモハメド・アリだった。

 そしてそれを根づかせたのが、アマのトップリングで変化の波を潜り抜けてアメリカンボクシングの復興に貢献した、リアクションスピードに富むアフリカ系アメリカ人ボクサーたちだ。五輪メダリストであるシュガー・レイ・レナード、パーネル・ウィテカー、ロイ・ジョーンズ・ジュニア、フロイド・メイウェザー、そしてアンドレ・ウォードらがプロの頂点に立つことによって、インファイティングはトップステージにおける技術的トレンドの中心からいっそう遠ざかっていった。際立ってアグレッシブなアーロン・プライアー(五輪未出場)にしても、インファイターと呼ぶべきスタイルのボクサーではなかった。

 ライトヘビー級からクルーザー級にかけてのドワイト・ムハマド・カウィや、ヘビー級でも活躍したキャリア後期のジェームズ・トニーらは僅かな例外と言えるだろうが、彼らについては次章で触れてみたい。

 さらに、欧米のリングで発生したいくつかのリング禍もまたBOX優先傾向を助長した。

 たとえば、王者レイ・マンシーニと韓国人挑戦者金得九が、試合開始からひたすら打ち合いに没頭した1982年11月13日のWBA世界ライト級タイトル戦だ。14ラウンドに力尽きてKOされた金は、リング上で意識不明となって病院へ緊急搬送。脳内血栓除去手術を受けたものの脳死状態に陥り、5日後に母親の同意の下に生命維持装置を外された。

  体力の落ちる試合終盤における過度の打ち合いの危険性を指摘するWBCの発案を経て、主要4団体の世界タイトル戦は12ラウンド制へと順次短縮されていった。

 リング禍発生の度に浴びせかけられる医学会からのボクシング廃止論への効果的なカウンターとなったレギュレーションの変更は、同時にエンターテイメントとしての存続に危機感を覚えていた放映メディアにも好意的に迎えられた。実際のところ15よりも12ラウンドの方が放映時間枠的には収まりがよかったのである。

 だが一方で、それはスタミナやパンチへの耐久力などフィジカルな部分への依存度が高いファイター型のアドバンテージを削ぎ落すことともなった。

 アウトボックスされ、ポイントでリードを許しながら最終15ラウンドに遂にとらえ、逆転KOで勝利した1950年9月13日の世界ミドル級タイトルマッチ、ジェイク・ラモッタ対ローレン・ドートユ(フランス)戦や80年3月31日のWBA世界ヘビー級タイトルマッチ、マイク・ウィーバー対ジョン・テート戦のような、プロボクシングならではのドラマティックな結末をみる機会の何%かはこうして奪われたのである。

 ダメージを負いながら徹底抗戦、「肉を切らせて骨を断つ」ような非効率的で競技イメージを損ないかねぬインファイティングは、端的に言うなら“REASONABLE”な戦術ではなくなった。今日では肉を切らせているうちに早々とストップされてしまうのだから。

 もとより3ラウンド勝負のアマチュアで、そんなスタイルが存続するはずもなかった。また、インファイター型が競技のメインストリームから外れたことは、コンタクト競技としてのボクシングの試合強度を低下させたとも言えるだろう。

打ち合いモードに没頭し続けたマンシーニ(左)と金
SPORTS ILLUSTRATED誌1982年11月22日号

 12年半後、ロンドンで行われたWBC世界スーパーミドル級タイトル戦でのこと。挑戦者で前ミドル級王者でもあるジェラルド・マクラレンは、1ラウンドに王者ナイジェル・ベン(イギリス)から先制のダウンを奪いながら、ベンのラビットパンチやバッティングも交えたラフで頑強な反撃に遭って徐々に失速。8ラウンドに追加のダウンを奪いながらも10ラウンドに力尽きて2度ヒザまずき、テンカウントを聞かされた。

 コーナーに戻って意識を失ったマクラレンは緊急搬送され、脳内に生じた血栓除去手術を受け一命こそ取り留めたものの、昏睡状態は2ヵ月間も続いた。目覚めたときマクラレンは失明しており、聴覚障害、脳損傷による記憶障害が生じ、歩行不能で重度の要介護状態に陥っていた。

「この競技では、同じことが誰にでも起こり得るということを再認識させられた」

 マクラレンとアマ・プロを通じて同期のロイ・ジョーンズ・ジュニアは、この試合がその後の彼のファイトスタイルに少なからぬ影響を及ぼすことになったと米・KO誌1995年8月号掲載のインタビューで語っていた。

 ひと世代後のメイウェザーや、いっそうデフォルメされたセイフティーファースト・スタイルを持つ今日のシャクール・スティーブンソンを経て、観客のブーイング不可避の塩試合を、「それもあり」なのだと容認する傾向が関係者間にも定着していった。

 ヒット・アンド・ランやアウトボクシングというスタイルをこの競技に持ち込んだ、ベアナックル時代のダニエル・メンドサやグローブ時代初期の世界ヘビー級王者ジム・コーベットらも、現代では「男らしく戦わない卑怯者」とまで罵られることはない。

■クロスレンジ・ディフェンス/ズレの調整

 以前、『那須川天心のデフォルト(初期設定)』(連載:第1回=2023年9月29日掲載)に触れたことがあるが、実父から「打たせずに打つ」をモットーとするデフォルトを施された井上は、基本的にイン・アンド・アウトを多用するボクサー型だ。アマの技術的トレンドに逆行し、連打の中にコンスタントに組み込むボディブローに強いプロ志向を思わせたが、ディフェンスはステップとボディワークで構築するデリケートな間合いとタイミングに依存するところが大きい。ボディコンタクトを好まず、クロスレンジに長居して連打を繋いでいくタイプではない。つまり攻撃のワンサイクルは意外と短いと言える。

 これは、ほかならぬルイス・ネリが戦前に指摘していたポイントでもある。曰く「井上の連打はせいぜい5、6発で終わるが、オレは10発でも20発でも続けて打てる」。だが、そのこと自体、僅かな隙を見逃さずにポイントに繋ぐスモール・ボクシングが求められる今日では以前ほど美点ではなくなっている。

 世界戦で、井上がクロスレンジで互いのパンチを交錯させながら奪ったダウンは限られている。WBSSバンタム級準決勝でのIBF王者エマヌエル・ロドリゲス(プエルトリコ)との2ラウンド。左フックで奪ったこの試合最初のダウンが代表的なものだろうか。

 中間距離から左フックを大きく振って煽りロドリゲスの左の強振を誘うと、これをダッキングでかわしてフトコロをつく。いったんロドリゲスの胸元に額を押し付け、離れつつ軽い右ボディ。ロドリゲスのリターンの左の内側から上体をやや後方に逃がして回転半径を作り、下肢と肩・肘を利かせて顔面やや右側に叩き込んだ攻防一体の強打だった。

 そしてネリ戦の5ラウンド終盤。中間距離でのパンチ交換を経て自らロープ際に下がってネリに振らせ、頭をつき合わせた状態からネリが先に打ち出した左アッパーをかわしつつ、まず空いた右顔面、右耳下から右アゴの間にポンと置くように左フックで叩く。ネリを見据えたまま上体を時計回りに小さくローリングし、今度はネリの右ガードの上を抜いて1発目と寸分違わぬポイントをヒットしてダウンにつなげた。2発目も井上としては強打とまでは言えないパンチだったが、打たれたネリの目は完全に飛んでいた。

左フックで落ちたネリにフォローの右を振り出す井上
         Photo by Hiroaki Yamaguchi

 この二つのダウンに共通して言えるのは、効果的にパンチを効かせるための左右・前後・上下の空間を実に巧みに作りだしていることだ。打たせて打ってのパンチ交換用ではなく、「打たせず打つ」ための空間である。

 では、ネリ戦第1ラウンドのダウンはいかにして生じたか。井上が放った左アッパーはネリの下アゴを捉えてはいたが、ナックルの当たりが甘く、ネリは怯みも逡巡もなく左フックをリターンで持ってきた。

 バンタム級までの井上のパンチは相手のパンチのインをつくヒットが多く、リリースもリバースも速いうえに、イン・アンド・アウトのステップもより小刻みで機敏だった。

 意図的な強打の際に一方のガードが下がる傾向は以前からみられたが、打ち終わりを狙い難く、そもそも、事前のヒットで相手を十分に崩せていたために、強いリターンブロー被弾のリスクは低かった。

 だがクラスを上げるにしたがって、パンチによる「崩し」効果は僅かずつでも漸減し、そこに時間的空間的なズレが生じる。0.5秒から0.4秒へ、そして5mmから3mmへ。

 それは通常より大きなサンドバッグを打った時の感覚にも似ているが、人体の反応はメンタル面の介在もあってよりデリケートな誤差を生む。その「歪み」と言うべき感覚のズレこそが、被弾の根本の原因ではないか。

 そしてそこに、顔面を打たれても目もつぶらずに躊躇なく打ち返せるネリのパンチャーとしての美点が重なった結果が、あのダウンだったと筆者は考える。

 今後、ネリの一撃のようにクロスレンジでの攻防で井上の打ち終わりを狙う対戦者は増えることだろう。さらなる上のクラスを目指すにあたって井上に求められるものがあるとすれば、クロスレンジでのディフェンス感覚のズレの微調整をはじめとする、従来は必然性を欠いていた部分の見直しではないか。

「打たせず打つ」という初期設定がありながら、井上のボクシングは最終的な段階でオフェンス寄りにまとめられている。ボディコンタクト不可避の間合いにあっても、パンチを打つためのスキルの高さは実証済みだ。だが、クロスレンジでの身の置き所は心得ていても、それは打つことを優先したもので、打たれぬことを一義とするものではなかった。そうしたベース部分を今更ディフェンス寄りにモード変換するのは容易ではないかもしれないが、そこにインファイティングのエッセンスが競技的に存続する余地も垣間見える。

《次 回》CHAPTER 2インファイターの栄光と凋落

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