堤聖也vs比嘉大吾IIその3
文_加茂佳子 Text by_Yoshiko Kamo
写真_山口裕朗@finito22
話の途中で、「堤聖也は持ってる男」だと比嘉大吾が言った。だが口にしてから、「持っている」のニュアンスに違和感を覚えたのか、急ぎ補足の言葉を繋げた。
「持ってるは持ってるけど、あの子は努力するから。それが運や結果を引き寄せてるんだと思う」
堤、でもあいつ、でもない。あの子、という呼び方は初めて聞くなと思いながら聞いている。

昨年9月、WBO世界バンタム級王者・武居由樹への挑戦試合に敗れ、ボクシングを終わりにしたはずの比嘉が、もう一度ボクサーをやると言う。その報を聞き、驚きとやはりという2つの気持ちを抱えて話を聞きに行った。
武居戦から2ヶ月間、練習や減量からの解放感を心底満喫していたと言う。後援者たちへ引退の報告をし、長きにわたる応援支援への謝意を伝えた。身辺整理もした。トランクスからグローブ、シューズ、練習着にいたるまでお世話になった人たちに貰ってもらい、バンデージなど人にあげられないものは捨てた。自分のために残したのはチャンピオンベルトだけだが、それがどこにあるかは不確かだ。
「自宅の押し入れか沖縄の親父の家か、どっちかな」
頓着のなさに驚くと「だってベルトに価値があるわけじゃないから。価値があるのはベルトを獲るまでにした努力とかそういうことさ」とさらりと言った。
食べたいものを食べ、会いたい人に会い、朝起きて行きたいと思った場所に出かける。何にも縛られない日々。2ヶ月が過ぎた頃だった。比嘉のもとに志成ジム、二宮雄介マネージャーから連絡が入った。
「堤聖也選手の初防衛戦の挑戦者にどうか、という話が来ています」
そのひと月前、堤本人からあくまで可能性の話としてだが、お前が相手になるかもしれないと聞いていた。驚いたが、終わった自分には関係ないよ、と即答した。本心だった。
それなのにだ。マネージャーから電話がくるまで再起する気など「さらさらなかった」のに、「1週間考える時間をください」と答えていた。
もし、話が来たのがあのタイミングでなければ考える余地はなかったと比嘉は言う。
心が揺れたのは、自分のこの先がまったくの白紙状態で、その現実に焦燥し始めていたこと。そして何よりオファーが世界挑戦だったこと。たとえいくら高額なファイトマネーを提示されても、ノンタイトル戦であったら迷わず断っていたとも言った。あれほどボクシングをする理由を「稼ぎたいから」と言っていた男がだ。
「やっぱりね、俺、もう一度世界チャンピオンになりたかったんじゃないですか」

あれ以上のいい試合は出来る気がしない。だから今がいい終わりだと思う。
そう言ってボクシングを辞めたはずだった。
なのにまた、再び戦おうとしている。
「結局、ケリがつけられていなかったってことだと思う」と比嘉は言った。
左フックで武居由樹からダウンを奪った11ラウンド。そして実質勝敗を決した最終回。
12ラウンド、当然勝負に出ると予想された比嘉は、だがその勢いの気配を見せなかった。逆に王者にロープを背負わされ、右アッパーで顔を跳ね上げられる。ガードを固め身を守るのに精一杯な挑戦者の姿に観客の多くは思ったはずだった。
なぜ比嘉は攻めに勝負に行かない。行かないのか行けないのか——。
12ラウンドが始まる前の野木トレーナーの指示は「自分に勝ってこい!!」だった。
「11ラウンド、追い打ちをかけなかったのは勝ちたかったからですよ。武居くんにダメージが少ないことはわかっていたから、攻めて反撃食らって10-9になるリスクは負いたくなかった。流してダウン分の2ポイントを守ろうと」
その選択は間違っていなかったと「思ってる」。
ただあのラウンドなのかインターバルか、「正直最終回あたりの記憶があまりない」が、ダウンを奪った後のどこかで、おそらく魔がさした。
「いつだったか俺、迷いがあると人間勢いがなくなるって話をしたじゃないですか。この前の試合前、俺、今回最後だから全賭けするって言ったさ。なのに11にダウンとったでしょ。このまま倒れなければ勝てるって一瞬頭をよぎったわけ。この迷いがね、そう、迷い、それが出てしまった。
スタミナ的には大丈夫だった。ただものすごくじゃないけど効いてもいたから、あの時の俺にはあれが精一杯だったのかもしれない。けど、迷い、それが最終回いけなかったのかいかなかったのか、その理由のすべてだったと思う」
勝ちたい気持ちは本物だった。
だが、迷う余地も持たなかったフライ級時代の比嘉大吾だったら、「勝ちたい」の先の選択は違った。
比嘉は後悔だとか悔しいという言葉をまず使わない。使いたくないのか、その感覚とは違うのか、そう受け取らないのか他の理由かわからない。このときもそういう類いの言葉は使わず、代わりにこう続けた。
「要するにアンパイを狙ったわけでしょう。そういうボクシングをしたらボクサーは駄目でしょう」
残る思いがある。だから終わりにできなくなった。
「あと俺ね、バンタムに上げてからの3年間気持ちが入らなかったこの俺が、武居戦までの2ヶ月半頑張れたことが嬉しかったんですよ。試合は最後消極的になってしまったけど、アグレッシブにいくところはいけてみんなが盛り上がってくれるような試合ができた。もしまた3ヶ月、もっと頑張れたら、この先の人生変わるんじゃね? 何か開けるんじゃね?って」

ただフライ級時代の、ただまっすぐだった俺には戻れない。それははっきりしてる。
「だから今回、別人格に頑張らせようと思うわけ。この比嘉大吾じゃない別の大吾をつくって、そいつに頑張らせようと」
比嘉大吾という人を知らない人が聞けば、何の冗談かふざけているのかと思うかもしれない。だが、「別の大吾に頑張らせる」に、彼の必死さと本気が見えた気がした。比嘉は初めて自分で自分を追い込もうとしている。
「俺、引退の挨拶をしに沖縄まで行ってるんですよ。こっちでもお世話になった人たちみんなにやめますって言って。誰よりも一番、堤が呆れてると思う。
こんなのこのこ復帰してね、俺、これで勝たなきゃどうするんですか」
(つづく)