The Boxer

半端な負け続け方ではなかった。12連敗。勝てなかった歳月は9年。

心を折り、ボクサーとして終わりだと自分に失望した時期もある。それでも戦いに挑み続けられたのはなぜだったのか。

国内現役最年長日本王者、出田裕一。38歳。

——前編——

文_加茂佳子 写真_山口裕朗  

Text by Yoshiko Kamo  Photos by Hiroaki “Photo Finito”Yamaguchi

 山ほど聞きたいことを抱えて、東武東上線に乗った。三迫ジムのある駅に着くまで、これから会うボクサーのことを考えている。

 出田裕一。昨年11月8日、プロ18年目にして初めてタイトルに挑戦し、日本ウェルター級王者になった、38歳。

 あの日、日本王者・川崎真琴(RK蒲田)との37歳対決は、壮絶な打撃戦になった。出田の怒濤の連打に、川崎のダメージを重く見たレフェリーが試合を止めたのは9ラウンド。

王者、交代。

その瞬間を待ち焦がれてきたはずの新王者は、だがガッツポーズを取ることも、叫び声を上げることもなかった。まだ実感がわいてこないのか、感情を表に出したくないのか、負ったダメージのせいかわからない。無表情のまま、血だらけの顔で、狂喜するセコンドのもとへと歩いて行った。彼が感情を見せたのは、三迫貴志会長に頭を抱きかかえられたときだ。

「よくやった」 

 そこでようやく、笑った。親に手放しで褒められた幼子のような、無防備で幸せそうな笑顔だった。

 レフェリーがこちらに、と出田を呼び、ベルトを手渡す。わーっ、と応援団が沸く中、新王者は赤コーナーへと体を向けた。今まさに川崎がリングから降りていくところだった。出田は姿勢を正すと、その後ろ姿に向かって深く、深く頭を下げた。

 所作の一つ一つに出田裕一という男の人間性が垣間見えた。真面目さに律儀さに、慎み深さ。勝利者インタビューでも彼は一語一語を大事に選びながら、控えめに胸中を語った。

「……負けてばかりでしたが、ようやく(日本王座に)辿り着きました。今日は、少し、胸を張りたいと思います」

 負けてばかりで。

 そう、出田のそれは半端な負け続け方ではなかった。16勝(9KO)16敗1分。戦績の半分負けてきた。そのうち12連敗した時代がある。勝てない歳月は9年にも及んだ。

 結果が出ない間、彼に前を向かせたものはいったい何だったのだろう。山ほど質問を用意してきたものの、知りたかったのはその一点だったかもしれない。

将来を決めたのは小学生のときだ。スポーツ観戦が趣味の父。その隣で見たボクシングに心を奪われた。これだ、と思った。ボクシングの何にそう思ったのかは「うまく説明できない」。

 ボクシングをするために茨城・松丘高校を選んだ。インターハイ準優勝の実績を買われ、推薦で東京農大へ進むも、プロ志向が強く一年の途中で中退。ヨネクラジムからプロデビューしたのは18年前。21歳だった。

新聞配達店に住み込み、朝刊と夕刊の配達、集金の合間に、走り、ジムに通う日々。初戦から12連勝し、無傷のまま日本ランキングに名を連ねた。順調にいけば日本王座挑戦もそう遠くないだろう、そういう位置にいた。だが13戦目、のちの日本・東洋太平洋王者・沼田康司(トクホン真闘)に逆転KO 負けで初敗北すると、続く渡部あきのり(協栄)、十二村喜久(角海老宝石)戦で3連敗。「進退をかけて臨んだ」高山樹延(角海老宝石)戦で勝利しボクサー生命を繋げたが、その後、歯車が狂ったように勝てなくなっていった。敗北、引き分けを挟んで敗北、また敗北。

負けても負けても出田は翌日にはジムに来て、顔を腫らしたまま黙々とサンドバッグを打っていた。その不屈の男がとうとうジムから姿を消した。7連敗後のことだ。

「限界がきていたんだと思います」

「引退した時点で10敗。その10敗の中には、先が見えなくなった負けもありました。それでもそのたび、またやるしかない、と思えたんです。またやりたい、もっと練習を、努力をしようと思えた。なぜか? 結果には繋がらなかったけど、昨日より少しは強くなっているという、実感があったからなんですね」

 だが、7連敗目の斉藤幸伸丸(輪島功一スポーツ)戦。

「打たれても前に行くのが売りだった自分が、眼球あたりにパンチを貰ったその直後、相手に背を向けるような動作をしてしまったんです」

相手に背を向ける。つまり、戦意喪失。

「そうです。もう、ボクサーとして終わりだと思いました」

負け続けても、昨日より強くなっているという実感に救いを見出してきた。まだ自分は頑張れる。だがその思いとは裏腹に、心は勝てない現実に傷つき続けていた。

「その心のありようが、体に、あの動作に表れたんだと思います」

そうして出田は、ジムから姿を消した。

「これでよかったんだ」と、不屈だった教え子が消えたジムで横井龍一トレーナーは思った。

「沼田に負ける前とあとで、あいつのボクシング、まるで変わってしまってね。アマチュア仕込みの、ジャブ、ワンツー主体の綺麗なボクシングだったのが、負けてからあれこれ試すようになって。焦りと不安があったんでしょう。幸伸丸戦のころにはもう心と体がばらばらになっていたし、最後は僕の言葉も届かなくなっていた」

だから体が無事なうちに引退してくれて「ほっとした」。と同時に、喉元に苦い思いも込み上げてきた。

あいつとは関係を作れないまま終わってしまったな‥‥。

 二人が四年後、再びパートナーになること、そして37歳という年齢で、夢のような現実を手に入れるとは、そのとき二人とも夢想だにしていなかった。

——後編へ続く——

コメントを残す

The Boxersをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む