
半端な負け続け方ではなかった。12連敗。勝てなかった歳月は9年。
心を折った試合もあった。ボクサーとして終わりだと自分に失望もした。一度はリングから去り、だが去りきれなかった。戻って戦うことを選び、その果てに男は人生を逆転させた。
国内現役最年長日本王者、出田裕一。38歳。
——後編——
文_加茂佳子 写真_山口裕朗
Text by Yoshiko Kamo Photos by Hiroaki “Photo Finito”Yamaguchi
(前編はこちら)
ボクサーを辞めた出田は、全国に飲食店を展開する企業にホールスタッフとして就職した。「人の笑顔を見るのが嫌いじゃない」性分に、接客業は合っていた。元来が真面目で誠実。一見強面だが、笑うと顔いっぱいに愛嬌が溢れる。お客さんからの評判は高く、お客様アンケートによるベストホールスタッフに選出されたこともある。仕事にやりがいは感じていた。安定した収入と生活。妻ともその職場で出逢った。だが「ボクサーでない生き方」に馴染んでいくにつれ、出田は、自分の内側でなにかがくすぶるのを感じるようになった。

その正体、理由がはっきりする機会があった。
仕事の関係で、居酒屋甲子園という居酒屋の日本一を決める大会を見学した日のことだった。全国から選ばれた5店舗のスタッフが、我らが自店こそナンバー1だと情熱的かつ誇り高くプレゼンテーションするのを見たとき、自分はこの仕事にこれほどの熱意は持てない、と気づいた。そのとき胸に去来したのはボクサー時代の自分だった。今の自分にはもうないものだから輝いて見えるのだろうか。だが、ボクシングのどの場面を思い返しても、情熱、熱い思いが当たり前に、いたるところにあった。
その刹那、切ないような、胸に刺されたような痛みを覚えた。
戻れるものなら、戻りたい。
そう、ふっと心の声が呟いた途端、衝動が抑えられなくなった。その場で急ぎ、復帰の条件を調べると、ライセンスを取得できる年齢は33歳の誕生日までとある。
その時出田は32歳。取得の資格を失うまで数ヵ月。今ならまだ間に合う……。
いてもたってもいられなかった。
もう一度、ボクシングをやりたい、挑戦したいと、その足で妻に伝えた。
話を聞き終えた妻は、自分にできる限りの協力と応援をすると言った。ただ、一つだけ条件がある——。
「戻る以上は、前よりも良い結果を出して」
そのつもりだった。
引退後も走ることと筋トレは続けていた。が、もう四年近くボクシングの練習はしていない。それでもだ、出田にはなぜか、戻れば、やれる。日本タイトルは、取れるという確信めいた感覚があった。
「昔以上の熱意を、強い気持ちを込めれば叶えられる、と」
一度は手放した夢。今度はもう、夢をただ追いかけるつもりはなかった。掴みに行く。
出田は、新たな青春を生きようとしていた。
出田が引退していた2017年、古巣のヨネクラジムは閉鎖。横井龍一トレーナーは三迫ジムに移籍していた。その師を追う形で出田も移籍を許され、同ジムで再出発することになった。
だが現実は厳しかった。
勝てない。
ヨネクラ時代の7連敗から数字は更新を続け、とうとう12連敗を記録した。
その過程をそばで見てきた加藤健太トレーナーは、
「連敗をなぜ耐えられたか……。僕には連敗を耐えるというより、負けを「経験した、と捉えている」ように見えました。勝ち負けはもちろん大きい。でも出田さんには、自分の満足できる動きができたか、昨日より強くなっているか、まだ強くなる可能性はあるのか。自分をいかに高めるかが大切なんじゃないか、と。そういう捉え方の人だから、他の人間なら挫けるような状況を乗り越えられてきたように思います」
復帰後、出田が初勝利を挙げたのは12連敗の次戦。元日本王者の矢田良太(グリーンツダ)に打撃戦で打ち勝ち、ランキングにも返り咲いた。笑顔でリングから降りたのは9年ぶりだった。

その出田に川崎陣営からタイトルマッチの話が持ち込まれたのは、2連勝し、重田裕紀(ワタナベ)に1ラウンドKO負けしたあとのことだ。
念願悲願のタイトル挑戦。断る理由は、なかった。
即座に、三迫貴志会長から横井トレーナーに指令が降りた。
「何がなんでも出田を勝たせるぞ」
会長の提案で、指導チームが結成された。会長、横井トレーナーと加藤トレーナーの三人体制。それぞれが得意を出し合い、補い合い出田を全方向からサポートする。
横井トレーナーはまず出田に宣言した。
「次のタイトルマッチ、お前なら絶対に勝てると自信を持ってリングに上げる。だから今回だけは俺たちの言うことを聞いて欲しい。負けたらすべて俺らの責任。今までのように自分一人で何もかも背負うのはやめてくれ」
「昔から余計なことは話さない子なんでね。どこか痛めていても悩んでいても絶対に言わない。こちらに気づかせないように一切顔に出さないから、正直に今の状態を話せと言ったんです。そうしたら出てくる出てくる……。ずっとあそこの骨が折れていただの、血尿が一ヵ月止まらなかっただの、そんな体で試合3日前に何十キロと走っていただの。やってることも我慢もめちゃくちゃ。一線を越えていた。そう、連敗の不安を解消するのに無茶を続けてきたんだと思います。会長が紹介してくれた病院やリハビリの先生をはしごして、今だから言えますけど、川崎戦の前は3日に一度は練習を休ませなきゃいけなかった……」
「川崎戦の前、横井先生から一人で背負うのはやめてくれと言われたとき、ああ、自分はこれまで先生に頼り切れていなかったんだな、と思いました。深層心理的には頼りたい、けれど、頼れば負けたときに先生のせいにしてしまうかもしれない。それが怖かった。そういう人との距離感、頼ったり甘えることが得意でないのは‥‥そうですね、育った環境も、関係しているのかもしれないです」

三歳上の姉とともに父に育てられた。
母親が家を出ていったのは「多分」三歳の時。それから「五つぐらいのときだったと思います」。突然母が帰ってきた。父か母かどちらについていきたいかを聞かれ、お母さん、と答えた出田は、母の運転する車に乗った。夜だったのを覚えている。車に揺られているうちに眠りに落ち、目覚めたら父の元に戻されていた。
「理由はわかりません。そこに母の姿はなく、それきりになりました」
どうして、と思う気持ちも、泣きたい気持ちも、淋しさも当然あった。そんな弟に、まだ小学生の姉は言った。
「お母さんのこと、お父さんに聞かないようにしようね」
二人には、小さいながら、父に大事にされている実感があった。食事の支度から遊びから、出来うる限りの世話をしてくれる父に、おそらく困らせることになるだろう疑問や感情はぶつけられなかった。
今、大人になり、一人娘の父にもなった出田は言う。
「母親に恨みつらみはないんです。もし連絡がくるようなことがあれば、会って普通に話をできると思います。ただ、絶対に会いたいとか、どこで何をしているんだろうと考えることは、もう、なくなりました」
それから、ふっ、と思いついたように呟いた。
「母は、まだ、生きているんでしょうかね」
今でも両親の間に何があったのか、出田は知らない。人には誰しも聞かれたくない、話したくないことがあるだろう。だから親子であってもプライバシーに踏み込まない。他人ならばなおさら。それが習性のようになった。
「母のことだけでなく、父親がどんな子供だったとか、学生時代に何が好きだったのか、そんな話も聞いたことがないんです。知り合いによく、お前は人に興味がないだろ、と言われるのはそこかもしれないですね。でも決して興味がないわけじゃあ、ないんです」
自分からは求めたり踏み込めない、だけなのだ。
「だから川崎戦の前、会長や横井先生、加藤先生が、責任は俺らにあるからと言ってくれたとき、ああ、誰かに頼れるというのは、こんなに安心感や頼もしさを感じられるものなのかと思ったんですね。そういう経験は初めてです。だからこそ、みんなの熱意に応えたかった。どうしても。チャンピオンになることで感謝を返したいと思いました」

チャンピオンになった激闘の代償は小さくなかった。左目の網膜剥離。出田が治療に専念する間に、暫定王座が設けられ、その座に就いた中島玲(石田)との王座統一戦が8月8日に決まった。下馬評は出田不利——。
川崎と戦う前、出田は必ず勝つ、と声に出して耳に体に刷り込んでいた。必ず勝つ、という言葉が体にすんなり馴染んだ。つまりそれだけ本物の自信、確信があった。だが今回、中島と決まり、同じ事をしてみると、体が違和感、心地の悪い何かを覚えてしかたがない。
出田は、試しに、勝ちたい、と言葉を変えた。勝ちたい。そう呟くと、今度はしっくりきた。
それがどういう理由によるものか出田はわかっている。揺るぎのない確信を、まだ中島相手には持てていない‥‥。
「はい、中島選手が強敵であること、自分より強いと自覚しているからです」
それでも、そのことに動揺はないと出田は言った。
「自分が格下であることを素直に受け入れたら、むしろ不安が消えたんですね。日本王者としてベルトを守らなければ、という意識、重圧がなくなったからです。そしてむしろ楽しみに思う気持ちが出てきた。強さと巧さを兼ね備えた中島くんに勝つことができれば、自分の技術、ボクサーとしての力を自分で認められる、と」
それから今回、出田は初めて、人の力を借りたいと自分から思ったのだと続けた。
これまでずっと、ヘッドギアやノーファールカップ、グローブをつける作業を出田は一人でこなしてきた。後輩が手伝いに走り寄ってきても、大丈夫だからと固辞し、そうした些細なことでも「頼らない」を実践してきていた。それをやめたのだ、という。
「ささやかに聞こえるかもしれませんが、誰かが私のためにサポートをしてくれること、頑張ってと思ってくれる気持ち、すべてを戦う力の助けにしたいと思ったんです」
他力することが苦手で、ずっと拒んできた男が、今、それほどに力が、強さが欲しいと願っている。
どうしても、勝ちたい、からだ。
出田は必勝宣言のようなものは一度も口にしなかった。
「面白い試合になると思います」
試合に関してはそれだけを言った。
「今、私には妻がいて娘がいて、ボクシングではチャンピオンになり、練習に打ち込める体があって、その練習を楽しめている。これまでの自分の人生で、今が間違いなく幸せな時期なんですね。ただこの時間は永遠に続かない。だからこそ、この時間を少しでも長く持ち続けるよう努めたいんです」
取材者には、出田流必勝宣言、に聞こえた。
