The Boxer

ケンシロウは最高の先生だった。

最強の男に挑んでこそ学ぶこと、見えたことがある。

世界チャンピオンになる。それはもう、おぼろげな夢ではない。

WBA世界ライトフライ級6位 アンソニー・オラスクアガ。24歳。

——前編——


文_宮田有理子 写真_山口裕朗  

Text by Yuriko Miyata  Photos by Hiroaki “Photo Finito”Yamaguchi

 あのとき挑戦者のコーナーにいた田中繊大トレーナー(帝拳)が胸を打たれた、師弟の短いやりとりがある。

 リングを降り、控え室へむかうあいだ、強面のトレーナー、ルディ・エルナンデスが、愛弟子をねぎらった。

「よくがんばった」

 師のひとことを聞いたとたん、アンソニー・オラスクアガの感情が堰を切る。

「勝ちたかったんだ……」

 花道の真ん中で24歳の勇者は、泣き崩れた。

 観る者の心をつかんで離さぬ激闘だった。ことし4月8日、東京・有明アリーナで行われたWBAスーパー、WBC世界ライトフライ級タイトルマッチ。強拳を携える若き挑戦者オラスクアガと打ち合い、3回にダウンを奪い、9回にレフェリーストップを呼び込んだ寺地拳四朗(BMB)は、信頼してやまない加藤健太トレーナー(三迫)と抱き合い、泣いた。泣いて笑ってくしゃくしゃの顔が、乗り越えた重圧の大きさを物語った。プロ5戦全勝、わずか2週間の代役を引き受けたチャレンジャーは確かな未来を予感させ、そしてそれを見事に上回ったチャンピオンの強さと矜持が光った。

 充実期まっただ中のチャンピオンである。昨年、はじめての挫折とともに一度は失ったWBC王座を獲り返し、国内ライバル、京口紘人(ワタナベ)を倒し切ってWBAスーパー王座も掌握。そしてこの4月8日は本当なら、もうひとつタイトルを束ねるためにWBO王者ジョナタン・“ボンバ”・ゴンサレス(プエルトリコ)と戦うはずだった。サウスポーのアウトボクサーに対する作戦を練っていた。が、プエルトリコの対抗王者が病気で出場不可、3団体統一戦は先送りとなる。防衛戦としてタイトルマッチを行うために急な代役がピックアップされ、その候補の一人が、オラスクアガだった。さらなる栄光のために負けるわけにいかない、しかも急造の戦いに、迎えるにはいやな相手だったに違いない。

 トニー(アンソニーの愛称)とは、アメリカ・ロサンゼルスで2度、スパーリングで向き合っていた。一度目は2017年。まだアマチュアながら、バランスのよいスタンスから強打を放つオラスクアガを見て、同行していた寺地永会長は「天才トニー」と呼んだ。昨年9月、ロサンゼルスを再び訪れるにあたって2度目の手合せが叶った時、会長は「あの天才トニーですか」と、すぐに思い出した。あの時の少年はプロ2年目ですでに世界ランカー。寺地は得意なジャブの距離とともにインファイトも試し、「パンチ、強いですね。カラダも。なんでこっちの人ってこんな頑丈なんやろ」と言った。この童顔の世界王者の性格も強さもよく知るWBOアジアパシフィック・スーパーフライ級王者の中川健太(三迫)は、こう明かす。「拳四朗がほめるって、よっぽどです。彼とのスパーに耐えられる選手ってほんとうに限られていますし」。

Photo : Yuriko Miyata

 

 オラスクアガが、代役世界挑戦の可能性をエルナンデスから知らされたのは、3月22日だったという。

 5戦全勝3KO。WBAフライ級の2位にランクされ、4月15日に韓国で行われるフライ級ノンタイトル戦に出場するため3月なかばに来日。昨秋ゴンサレス挑戦に破れ、再起戦に向かう岩田翔吉(帝拳)のスパーリングパートナーを務めながら日本を満喫していたところに、電話を受けた。

「やるよ、あたりまえ。ルディからの電話にそう言ったけれど、最初は出場できなくなったのはケンシロウの方で、ボンバに挑戦するんだと思ったんだ。電話を切ってすぐ、ボンバとショウキチの試合映像を見たんだけれど、次の電話で“相手はケンシロウだ”って言われた。それでも、考える時間なんて必要なかった。もちろん、って即答。断る理由なんて、あるのかな? チャンスなんて、一生に一度あるかないか。何年もボクシングをやってきて、いま準備ができていない、なんて言って断るなら、永遠にその日は来ないよ。ケンシロウが素晴らしい選手だってことは知ってる。でも、ためらいは少しもなかった。難しい道であればあるほど、グレートに近づけるんだ。ベルトは2本。WBAとWBC、チカニートが持っていたベルトだよ。わくわくして、次の日はいつもよりずっと早く、ジムに行っちゃった。たくさん体重を落とさなくちゃいけなかったしね」

 すでに日本にいるというアドバンテージもあり、正式決定。4月8日まで2週間あまり。その時の体重はおよそ120ポンド、減量の幅は12ポンド(5.4キロ)に広がっても、喜びははるかに優った。チカニート(Chicano=メキシコ系アメリカ人+ito=小さな)とは、敬愛する故ヘナロ・エルナンデスの愛称。スーパーフェザー級でWBA(1991年)とWBC(1997年)の頂点に立った、日本と縁の深い殿堂入りチャンピオンは、ルディの実弟であり一家の誇り。10歳のころからエルナンデス家で暮らしてきたオラスクアガにとって、チカニートの系譜に連なることは特別な意味がある。

 試合前々日の記者会見で、オラスクアガは寺地と再会した。およそ7カ月前、ロサンゼルスでスパーリングをして以来。お土産の美白シートパックを手に談笑していたあの時とはまったく違う。今は戦う者同士、しかも世界王座を賭けるのだ。どんな顔で会う…? 言葉にできぬ奇妙な感覚だった。

「会ってみるとケンシロウはベリーナイスなままで、ああ、それでいいんだ、と。ハイ、ケンシロウ、って言って肩をたたきあって。とくに会話をしたわけじゃないけれど、それから行事のあいだ、敵意なんてものは浮かばなくて」

 

 すべてが初めての経験であり、幸せすぎる時間だった。

 昨年3月、プロ3戦目のパナマ遠征でWBAフェデラテン・フライ級タイトルを獲得し、世界ランク入り。同10月にニューヨーク州ナイアガラのカジノホテルで初メインを張ったばかりの若者には、約15000人収容のアリーナは、目もくらむようなビッグステージだった。リングウォークから、映画の中に入り込んだような気持ちだったと、オラスクアガは言った。

「クレイジーな経験だった。あんなに大きな会場で、リングへ向かう間にも、たくさんの人たちが僕の名前を呼んでくれた。みんなの声援に、いい戦いをみせるんだ、って心に誓った。でも、僕は幸福感に飲み込まれてしまったのかもしれない。リングに上がって、ケンシロウと向き合った時、よし。やるぞ、ってスイッチが入ったと思ったけれど、1ラウンドは出遅れたって認めなくちゃいけない。ケンシロウのジャブにハッとした。苦笑いしてる自分がいたよ」

 寺地のスタートダッシュは素晴らしかった。鋭く、明確な意思をもったジャブが間合いを支配し、戦いの主導権を握った。オラスクアガの心身にギアが入った2回。その挑戦者がワンツー、左ボディから右クロス、迫力ある強振で、遅れを取り戻しにかかると、一瞬のスキも許されないような、緊迫した攻防が展開する。チャンピオンはその中で、まったく下がらなかった。オラスクアガの打ち終わりをとり、3回終盤、右カウンターによってダウンを奪った。キャンバスにタッチしたもののダメージはなかったというオラスクアガだが、試合中盤には、味わったことのない疲労感があったと、告白する。

 スポットライトに照らされたリングで向き合うケンシロウは、ジムで見たのと別人だった。6年前のスパーリングでは巧みなジャブにコントロールされたが、昨年の“再会”では得意のインファイトに手ごたえを感じていた。だがあれはあくまで練習に過ぎなかった。“本番”でみせる、凄まじいオーラ。動きのキレ。パンチの精度。とくにジャブ。ジャブが、こんなにも攻防のカギとなることを、思い知らされた。

「ジャブに邪魔されて、自分のパンチのセットアップができなかった。自分のしたいボクシングができなかった。いつもなら自分がプレッシャーをかけて試合をコントロールする。今回もそのゲームプランだったけれど、逆にされてしまった。僕はバックステップを踏まざるを得なかった。でも、あきらめるわけはない。リングの上ではどんなアクシデントもある。拳が壊れても、あばらが折れても、ポーカーフェイスで勝つ方法を探し出さなくちゃいけない。それはルディがいつも言うこと。なんとしても勝つんだ、という気持ちで、ベストを尽くした」

 疲労感を圧し返すように、前に出た。慢性的に痛みをかかえている右拳に激痛が走ったのが、何ラウンドだったかは覚えていない。それが戦いを左右したとも思わない。むしろ左を意識的に使うことになって、ペースをつかみかけた。6回半ば、渾身のワンツーで圧し返す。7回、ボディで下がらされれば、ラウンド終盤には左アッパーを連発する。攻められたら攻め返す。しかし、蓄積するダメージは、隠せなくなっていた。

 コーナー下から、心配する声も聞こえてくる。インターバル中。「大丈夫か」、エルナンデスの問いかけに、ファイターは懇願した。

「止めないで。続けさせてよ。大丈夫だから」

 8回。ラウンドの半ばから猛然と攻めに出た。ワンツーを連射。チャンピオンを下がらせた。そして迎えた9回だった。リングの中央で二人が打ち合う。寺地の右が、オラスクアガをとらえた。

「右を効かされて、ここは一度ヒザをついて回復の時間をとるのがいいかもしれないと思ったんだ。そんなことを考えた一瞬のうちに、ケンシロウが畳みかけてきた。ロープへ下がった。でも、ロープの外へカラダがはみ出してしまったのは、レフェリーが入ってきたからで、あのストップは早かったと思っているよ。でも仕方がない。ロープへ下がった自分が悪いんだ」

 9回58秒TKO。

 緊迫から解放されたチャンピオンは、晴れやかだった。まだ呆然とするオラスクアガのコーナーに歩み寄り、エルナンデスの熱い祝福を受け、オラスクアガと抱擁した。オフィシャルから手渡されたWBCのメダルを自らの手でチャレンジャーの首にかけ、称えた。「しんどい戦いでした。トニーは絶対、世界チャンピオンになりますね。絶対なりますよ」。

 

 まる1カ月間。エルナンデスはオラスクアガに休養を与えた。強いた、と言う方が正しいかもしれない。昔気質のトレーナーが、練習を休ませるのは理由がある時だけだ。右手は手術こそまぬがれたものの安静が絶対だったし、何より身体の回復に時間は必要だった。オラスクアガの方が、うずうずしていたのだ。5月8日、待ち構えたように練習を再開した彼と、ジムで遭遇した。

 左手にだけバンデージを撒いて、飽くことなくジャブを練習した。そんな様子を、口を真一文字に結んだエルナンデスが、黙って見つめている。天性のセンスに恵まれていても、どちらかと言えばむらっけがあった愛弟子に、見える変化。進化。「おまえの一番の先生は誰かって、トニーに聞いてみてよ」、エルナンデスに言われて、そのまま質問をオラスクアガに投げると、すぐに答えが返ってきた。

「ケンシロウだよ」

 どんな優れた指導者より、ボクサーは対戦相手から、戦いから学ぶ。それは真理であると、エルナンデスは言う。階級最強であるチャンピオンとリングに上がり、全力を尽くして、トニーは自分の現在地を知ることができた。戦術のミステイクや戦力の不足とともに、頂点までの、距離を。

「2023年は特別な年になった。ケンシロウが、僕を本当の意味のプロフェッショナルにしてくれた。勝ちたかったけれど、負けたからには、もう二度とあのビッグステージで負けたくない。もう二度と、あんな思いをしないように、何だってするよ。練習もケアも、今日やるべきことは必ず今日やるんだ。世界チャンピオンになって、僕を支えてきれくれた人たちの誇りになりたい」

 今までだって、そう思ってきた。が、自分がボクシングで成功できる保証はどこにもなかった。世界チャンピオンになる。それはあまりに、おぼろげな夢だった。

後編へつづく

Photo : Yuriko Miyata

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