コラム・蜂のひと刺し

第1回 英雄と悪漢 〜井岡一翔と寺地拳四朗

文とイラスト__粂川麻里生

Text&Illustration by Mario Kumekawa

◾️ヒールの条件

 キラ星のごとくハイレベルな王者たちが競演し、隆盛を極めていると言っていい日本ボクシング界だが、チャンピオンたちの力量とは別に、ちょっと興味深く感じていることがある。それは、「スター」と呼びうるボクサーたちの中に「ヒール」の濃度が高まっている点だ。具体的に言えば、それは井岡一翔であり、寺地拳四朗である。

 井岡は世界戦に勝つこと21度で、井上尚弥さえも一つ上回る。寺地も先日のブドラー戦で世界戦13度目の勝利で、日本リング史上で長谷川穂積と山中慎介に並ぶ4位タイとなった(1位井岡、2位井上、3位具志堅用高)。偉大な上にも偉大なファイターたちである。そういう、日本のボクシングの歴史上でもきわめて傑出した存在でありながら、井岡や寺地には「ベビーフェイス」の雰囲気はなく、ハードな「ヒール」の匂いがムンムンと漂っていると感じるのは、僕だけではないだろう。

 そもそも、「ベビーフェイス」と「ヒール」という役割区分はプロレスのものであって、もともとボクシングにはない。プロレスラーのキャラクターを善玉(ベビーフェイス)と悪玉(ヒール)のいるドラマ中の人物に仕立て、前者には好意的な声援を、後者には罵声やブーイングを浴びせて楽しむのが、古典的なプロレスの楽しみ方だ。ボクシングにはそういうキャラクター設定は必要ない。それをボクシングに持ち込んだイノベーターは、他でもないモハメド・アリだったが、「ヒール」になることを試みたアリはあまりにも顔が可愛く、逆にライバルのソニー・リストンやジョージ・フォアマンがあまりに見事な「悪漢顔」だったこともあり、途中から、ヒールなんだかベビーフェイスなんだか分からなくなり、そのままなし崩し的に「ザ・グレーテスト」になってしまった。

 ボクシングで完璧な「ヒール」になることができたボクサーは世界でも多くはない。数少ない「完璧なヒール・ボクサー」の一人がバーナード・ホプキンス(元統一ミドル級王者)だろう。「死刑執行人」のコスチュームでリングに上がったホプキンスは、典型的なベビーフェイスであるオスカー・デラホーヤやフェリックス・トリニダードを嘲笑うかのようなファイトで圧倒し、吹き飛ばすようなノックアウトで退けた。その他には、ナジーム・ハメドもヒールとして活動できたと言えるし、「マネー」になってからのフロイド・メイウェザー・ジュニアも、素人向けの面白い試合はできないタイプだったが、「ヒール」になることで巨万の富を得た(マーヴェラス・マービン・ハグラーも「ヒール」になれる力量と容貌の持ち主だったが、素が良い人だったのと、レナード戦の不運な判定負けでなりそこなった)。

 

◾️「アウトサイダー」との違い

 真剣勝負のボクシングで、意図的にせよ、偶然にせよ、「ヒール」になるのは難しいのだ。抜群の力量に加え、独特のキャラクターと強い意志も必要になる。日本には今まで、本当の「ヒール」のボクサーはいなかった。昭和の昔から、プロボクサーたちは「アウトロー」あるいは「アウトサイダー」ではあった。世間的な享楽には背を向け、ひたすらストイックな生活とトレーニングを続け、人前に現れるのは裸で誰かと殴り合う時……という存在は、一般的でも平凡でもないし、あれ荒んだ心理を抱え込んでいるかもしれない。『あしたのジョー』の主人公・矢吹丈のイメージは、そういう側面をよく表現しているだろう。

 だが、「ジョー」たちは「アウトサイダー」ではあっても、「ヒール」ではなかった。「ヤンチャな兄ちゃん」のイメージが色濃かった渡辺二郎や赤井英和、辰𠮷𠀋一郎、あるいは古城賢一郎や大嶋宏成でも、「ヒール」ではなかった。彼らは皆、それぞれに見果てぬ目標に向かって直向きに努力していく若者たちであって、大衆の心は、彼らの背中を押していた。

 井岡と寺地はそうではない。タトゥーをクリームで隠しながらリングに上がり、時々JBCとも揉めごとになる井岡は、しかしリング上では全く揺るぎのない技量を発揮して、八重樫東、田中恒成、福永亮次のような、いかにも応援したくなる熱いファイターたちの行く手を阻み続けてきた。

 寺地も、いつも一見かわいらしい微笑みを浮かべているが、あんなにいつもニコニコされてしまうと、もはや「にこやかで気持ちのいい若者だ」と思う人ばかりでもないのではないか。特に最近の寺地の強さはまさに「えげつない」という言葉が当てはまる。そんな、背筋が寒くなるほどの強さを見せつけるにも関わらず、あんなにニコニコしているのは、もはや悪魔的という他はない。そして、ストレートに「あしたのジョー」のイメージを背負った矢吹正道に残酷なほどのリベンジを果たし、ベビーフェイスの代表格とも言うべき京口紘人も完膚なきまでに叩きのめした。

 日本ボクシングに初めて出現した「本物のヒールになれるボクサー」としての井岡と寺地に、僕は熱い関心を注いでいる。できれば、愛を込めてブーイングしてみたい。

PROFILE

くめかわ・まりお

1962年栃木県生まれ。『ワールドボクシング』誌編集記者を経て、フリーランスのボクシングライターに。ドイツ文学研究者の顔も持つ。

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