【待つ刺客】ムロジョン・アフマダリエフ(2/2回)

「指名挑戦者として、ボクシング・ファンとして、日本へ行きます」

粘るゴンサレスを倒し切り、12月26日の勝者へのWBA指名挑戦権を獲得 Ed Mulholland/Matchroom Boxing

前WBAスーパー・IBF統一世界スーパーバンタム級チャンピオン

ムロジョン・アフマダリエフ(ウズベキスタン)

 12月16日、アメリカのアリゾナで無敗のメキシコ人ケビン・ゴンサレスを8回TKOに仕留め、ムロジョン・アフマダリエフは再起を飾ると同時に、WBAスーパーバンタム級の次期挑戦権を確保した。スティーブン・フルトン(アメリカ)と並ぶ“井上尚弥を狙う刺客”だったウズベキスタン人が、保持していた二つの世界王座をマーロン・タパレス(フィリピン)に奪われてから8ヵ月。受け入れ難い判定による初黒星から立ち上がった元王者は、日本へ向かった。自分がいたはずの舞台。リングサイドから見上げる光の中には、プロになる前から、「いつか戦いたい」と神に祈った男がいる。(2/2回)前編はこちら

文_宮田有理子 写真_エド・マルホランド/Matchroom Boxing

Text by Yuriko Miyata,  Photos by Ed Mulholland/Matchroom Boxing

ムロジョン・アフマダリエフMurodjon Akhmadaliev  

1994年11月2日、ウズベキスタン・ナマンガン出身。身長166cmの左ボクサーファイター。2015年世界選手権バンタム級銀、2016年リオ五輪同級銅メダルを獲得。2017年世界選手権出場後、ロシアのワールドオブボクシングと契約し、2018年3月にアメリカでプロデビュー。2020年1月、8戦目でダニー・ローマン(アメリカ)に判定勝ちでWBAスーパー・IBFスーパーバンタム級タイトルを奪取。ウズベキスタン初の統一世界王者となる。翌年の母国凱旋で岩佐亮佑(セレス)を5回にストップし初防衛。今年4月、4度目の防衛戦でマーロン・タパレスを迎え、僅差1-2の判定を落とした。プロ13戦12勝(9KO)1敗。

夢のようなボクシング人生 

 中央アジアの奥の奥、ウズベキスタン東部ナマンガンから遥か彼方へ、ボクシングに導かれてきた。

 2016年、リオ五輪バンタム級で銅メダルを獲得し、翌年の世界選手権出場を経てプロに転向する時、世界展開していたロシアのプロモーター、ワールド・オブ・ボクシングと契約。2018年のプロデビューから、カリフォルニア州インディオに根を張るディアス兄弟のジムを拠点としている。

「いろんなトレーナーのもとで練習をしてみましたが、デビューから二人と一緒に戦ってこられたのは大正解だったと感じています。チーフトレーナーは、私のボクシングにより合っているアントニオの方ですが、ジョエルもアントニオも私の恩師であり、家族です」

アメリカの拠点、カリフォルニアのコアチェラ・バレー。荒野に囲まれた盆地  Yuriko Miyata

 ジムがあるのは砂漠地帯のオアシスだ。

 ロサンゼルス都市部の社会問題となっている大渋滞を抜け、東へ3時間ほど。風吹きすさぶ荒野の先にあるコアチェラ・バレーの東端に位置する。広い盆地は避寒リゾート、別荘地という裕福な顔をもつ一方で、住民の大半はそれを支える労働者、灌漑農業の担い手であるラテン系の移民。ディアス兄弟の両親もメキシコから移住した農場労働者で、1985年、ジョエルは12歳の時に弟妹6人を連れて国境を越え、両親の元へたどり着いた。新聞配達の最中に見つけたジムでボクシングを始め、18歳でプロに。右目網膜剥離を患い、二度目の世界挑戦を目前に24歳でグローブを吊るさざるを得なかった長兄は、トレーナーになる。マイナー団体IBAのスーパーライト級王者で数々のビッグカードに登場したアントニオ、IBF世界ライト級王座を2度獲得するフリオ、二人の弟たちを支え、現在解説者として活躍する世界2階級王者ティモシー・ブラッドリー(アメリカ)は2004年のデビューから10年以上を歩んだ。

中央アジア諸国からエリートが集結するディアスジム  Yuriko Miyata

 ワールド・オブ・ボクシングと兄弟の縁の始まりは、そのブラッドリーの対戦相手、“シベリアン・ロッキー”こと、元WBO世界スーパーライト級王者ルスラン・プロボドニコフ(ロシア)だった。キャリア終盤をディアス兄弟とともにするため、ロサンゼルスから移ってきた男は元々、ウラル山脈東麓の村の出身。「コーチ、僕はここが好きだよ」と、辺境のこの地にすぐ馴染んだという。その後プロモーションは、無敵のメキシカンスター、サウル・“カネロ”・アルバレスを破ることになるドミトリー・ビボル(ロシア)をはじめ、数々のアマエリート、トッププロを送り込んだ。3年前にはジムの近くに5ベッドルームの一軒家を購入。アフマダリエフも、そこで共同生活を送る精鋭軍団の一員である。ジョエルは、すべてがボクシングのためにあるような毎日を、生き生きと過ごす彼らの謙虚さ、勤勉さを尊敬してやまない。もっともアフマダリエフに言わせれば、それはごく当然のことだった。

「ボクシングのためにアメリカにいるのであって、遊びに来たんじゃないですから。ここでトレーニングし、デビューし、キャリアを築けるのは、夢のようなことなのです。それに、ボクシングのおかげで、今は両親や妻にいろんなものを買うことができるのが、幸せです」

 これらの言葉を聞くとき、地球の真裏にある彼の故郷に、心は導かれる。

9歳から家族のために働いてきた

 古代シルクロードの国。という響きは神秘的だが、アフマダリエフが生まれた1994年は、1991年の独立、ソビエト崩壊からの混乱が続いていたと想像する。近所のサッカー仲間の誘いで、6歳で始めたボクシングに真剣になっていた9歳のころ、家族のために働かなければならなくなった。

「難しい時代でした。誰もが心配な時を過ごしていました。私たちだけが苦しかったわけではありません。私の父は学校の体育教師で、母も科学と数学の教師でした。が、家族を養うには少なすぎる給料でした。私には3人の姉妹がいて男の子は私一人。両親を助けなければなりません。私は写真販売の会社に雇われ、公園で撮った写真をお客さんに届ける配達夫として働きました。みんな自転車を使うのですが、自転車を買うお金はないので、走って届けるのです。それでも誰よりも速く届けて、誰より多く仕事をしようと務めていました。ちょっとやそっと、危険なこともやります。家族のためです。そしてボクシングも、頑張れば頑張るほど自分の才能が見えてきて、もっともっと強くなろうと、自分を叱咤し続けました」

アントニオ・ディアスとのコンビは、プロデビューから Yuriko Miyata

 その日々を語るとき、アフマダリエフの目は潤み、声はかすれた。早朝のランニングと、午前・午後の二部練習。ジムと仕事場は、コーチが自転車で送り迎えしてくれた。夜はローラーコースターの係員も引き受けて、少しでも多く家にお金を持って帰りたかった。自分のシューズやロープを買うお金も必要だった。そうやって懸命に生きていた、ある日。いつものように写真を持って全力疾走しているところへ、自動車が突っ込んできた。

「足の骨が4か所、飛び出る重傷で、ドリルで穴をあけて、金属のギプスをつけました。もう普通に歩けない、杖が必要になると医師に言われました。でも私はとても頑固者なんです。8ヵ月は車いすでしたが、立ち上がれるようになるとトレーニングを再開して、2年後には、アジアのトーナメントで優勝していました。足を使わず強く打つ練習をしていたのが、“ハードパンチャー”になった原点だと思います。復帰後に出たトーナメントから、ストップ勝ちがはっきりと増えましたから。不可能と言われても諦めず、怪我から競技に復帰したこの時の経験によって、私はどんな困難にも打ち勝つ自信を得ました。それがボクサーとしての、私の最大の強みです」

 16歳になってナショナルチーム入りを果たして政府から月給がもらえ、大学所属のボクシング・エリートとして、ようやく競技に専念できるようになった。だが当時すでに、一家の稼ぎ手は自分ひとり。ボクシングで成功したい、ではなく、ボクシングで成功しなければならない。自分が立ち止まれば、一家が路頭に迷うのだ。重圧がのしかかるそんな状況に、しかし、少年は喜びを感じていた。

「大好きなボクシングを、仕事にすることができたのです。ボクシングは家族を幸せにする手段であり、ボクシングは私が心と魂で愛するものです。ボクシングがなかったら、私は、私の家族は、どうなっていたか、想像もできません」

彼と大きな舞台で戦いたいと、神に祈った

 大好きな競技だけで暮らせる有難さを噛みしめて邁進するボクサーは2016年、リオ・オリンピック出場を果たし、銅メダルを持ち帰る。そして遠からぬ先にプロ転向を見据えたころ、繰り返して見るようになったのが、すでに世界チャンピオンだった井上尚弥の試合映像だったという。マニー・パッキャオ(フィリピン)やロイ・ジョーンズJr.(アメリカ)らレジェンドたち、自分と同じような体格で奮闘する日本人をずっと敬愛してきた。

「ナオヤ・イノウエは、私が憧れるファイターの一人になりました。彼は常に、私が見たいと思うファイターです。彼のエキサイティングなスタイルが好きです。どうすれば彼のような戦い方ができるかを研究しました。ただマネしても意味がありません。彼の戦いに見えるエッセンスを自分の戦い方に取り込むのです。そしていつか、彼と戦える日が来ますようにと神に祈っていました。当時から、それが大きな戦いになると想像していたのです」

 2018年3月にニューヨークで、ダビド・ミチェル・パズ(アルゼンチン)を1分8秒でストップしてプロデビューを飾ると、8ヵ月後の5戦目はもうWBAスーパーバンタム級の上位対決。アイザック・サラテ(アメリカ)を、正確かつ重みのある連打で9回TKOに討ち取った。それはまるで、サラテのチームメイトである当時のWBA王者ダニー・ローマン(アメリカ)に見せつけるかのような勝利だった。そして。TJドヘニー(アイルランド)のIBF王座を奪い取り、さらに評価を上げていた統一王者ローマンに、2020年1月、プロ8戦目で勝利する。初めての12ラウンズ、丹念で粘り強いオールラウンダーの王者との接戦を、僅差2-1で引き寄せたのは、攻撃の迫力、だったに違いない。翌年4月の凱旋初防衛戦で、元IBF王者・岩佐亮佑(セレス)を5回にストップ。コロナ禍前にタパレスに勝った岩佐の手元にあったIBF暫定王座を吸収した。

 WBAとIBFの完全なる2団体王者となり、両王座を防衛しながら、アフマダリエフが望んでいたのは、井上との対戦である。契約するマッチルームのエディ・ハーンには、自分がバンタム級に下げてでも戦いたい、と懇願していたという。やがて、井上がバンタム級4団体統一を達成して、スーパーバンタム級転向を宣言。いよいよ「神に祈った戦い」が見えたアフマダリエフの前に、勅使河原弘晶(三迫)とのIBF次期挑戦者決定戦を制し、再び這い上がってきたタパレスが立ったのだった。

どんな結末が待つのか。アフマダリエフは現地で見つめる

「イノウエはきっと、タパレスをノックアウトして4団体統一を達成するでしょう。このことに、疑いはありません。私が持っていたはずの2本のベルトは、まもなくイノウエの手に渡ります。今回(ゴンサレスに)勝って、私はその2本を獲り返せる位置に戻りました。その戦いは同時に、イノウエと4団体の世界王座を懸けた戦い、になるのです。私は謙虚であり続けようと日々努め、現実離れしたことを望んだりしません。でもこれだけは、私にとって現実離れした素晴らしいことです。小さな村の出身の少年が、見上げてきた偉大なチャンピオンに勝って4団体王者になるのです。レジェンドになるチャンス。ヒストリーブックに永遠の名を遺すチャンスです。これ以上のことが、世の中にあるでしょうか。戦い終えて、自分の手が挙がる。そのためなら、どんなことも頑張れます」

 29歳。ボクシングに生きて23年。プロ無敗、という看板を失って、その言葉に、眼差しに、全身に危機感、飢餓感があふれる。おもしろくなった。

2 thoughts on “【待つ刺客】ムロジョン・アフマダリエフ(2/2回)

    • 記事をお読みくださり、ご指摘をいただき、ありがとうございます。
      貴重なご意見です。読者の皆様に伝わる文章を書けるよう、精進いたします。

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