BE WATER, MY FRIEND─ユーリ阿久井政悟の戦い方

日本王座V2を果たした直後。守安竜也会長の言葉を聞く阿久井

 来たる23日、エディオンアリーナ大阪第1競技場でWBA世界フライ級チャンピオン、アルテム・ダラキアン(36歳=ウクライナ)に挑むユーリ阿久井政悟(28歳=倉敷守安)。念願の世界初挑戦を迎える彼を一躍トップステージへと押し上げた試合がある。2021年7月21日、後楽園ホールで行われた日本フライ級タイトルマッチ、“スピードスター”桑原拓(大橋)の挑戦を10回2分49秒KOで退け、V2を果たした一戦だ。試合直後の取材の中で、彼が語ってくれた言葉の数々は、桑原戦にとどまらず、彼の流儀をひしひしと伝えてくれる。当時の記事(※一部加筆修正)を2回に分けてここに再録。“阿久井ボクシング”の源流に触れていただきたい。

文&写真_本間 暁
Text & Photo by Akira Homma

初出=2021年7月24日(個人note)

 バルコニーの記者席から試合を眺めた。初回に右カウンターで倒した。3回に左フックの相打ちで効かされた。それらはもちろん、ハイライトのひとつである。だが、試合中、ずっと気になっていたことがあった。それは、いわゆるワンツー、左ジャブから瞬時に右ストレートへつなぐコンビネーションを、試合中ずっと、10ラウンドに至るまで、彼が打っていなかったように感じていたことだ。

 記者ももちろん興奮する。あんな結末(右ストレート一撃でKO)を見せられればなおさらだ。元々、試合直後は頭の中で整理できないタイプ。だから、記者たちが囲む会見で「ワンツー、全然打ちませんでしたね」と、極めてアバウトな表現でしか訊くことができなかった。

 だが、当人はおそらくこちらの言いたいことがわかったのだろう。
「そうですね。打ちませんでしたね」と返してきた。

 するとここで、「最後に打ったじゃん」と、別の記者から突っ込みが入った。だが、当方が示すワンツーと、いわゆるワンツーは別物だ。リング上で散々、0コンマ何秒の駆け引きを演じてきた男は、瞬時にそれを察知して、「う~ん、ノーモーションの右なんですよね」と苦笑いしながら、フォローを入れてくれた。

 そうだよな。個人的な感覚は、1対1で話すべきだよな。他の記者への申し訳なさを感じつつ、会見後、後日電話で話したい旨を伝えた。彼はあっさりと承諾してくれた。

 なんてことのない、どうでもいいことかもしれない。でも、こういうことが引っかかると、いろいろと考えだしてしまう。帰宅して、頭の中に残しておいた映像を取り出して見る。すると、ワンツーから始まった再現が、様々なやり取りを浮き彫りにし始めた。気がつくと朝。今日もまた、眠れなかった。でも、記者である前にファンである身を考えれば、なんとも幸せな時間だ。

 あの人は、この試合をどう見ただろうか。ふと、考える。八重樫東。現役時代から、自身の試合だけでなく、他の様々な試合について抱いた感想をぶつけ合ってきた。挑戦者の桑原をよく知る人物でもある。すると、程なくして彼から電話がかかってきた。
 一晩考えて整理した、自分なりの見立てを大まかに話した。連打の合間に生じる“間”、そこを突くという阿久井のテクニックについて意見は一致した。

 スピード勝負はしない──。確固たる強い意志を感じた。
田中恒成(畑中)と戦った井岡一翔(当時Ambition、現・志成)に通ずる思考、戦略のような気がした。

 速く動かれ、速く攻められる。そうすると、人はどうしても同じように速く動き、さらにそれを上回る速い攻撃を仕掛けていきたくなる。対抗心というよりも、それが人として、動物としての本能であるからだ。しかし、それこそが相手の“思うつぼ”。ペースに引き込まれるということである。
 その勝負を我慢する、無視する。言葉にすれば、実に簡単。だが、これは並大抵のことでは実現できないもの。身近なことを例に挙げるとわかりやすいかもしれない。

 駅の階段の昇り降り。誰かの安全靴やハイヒールがカツカツと大きな音を立てる。気がつくと、その音に合わせて自分も昇り降りしているときがある。「むむ、いつの間にか合わせてしまった」と、主導権を握られた自分を恥じてみたりする。

 逆に、自分が主体のときもある。後ろ、あるいは横を昇る人(降りる人)が、いつの間にか自分と同じリズムで動いていることがある。なんとなくそれが気持ち悪いので、左右どちらかの足の運び、着地をほんのわずか早めたり遅めたりしてみる。と、彼、もしくは彼女の足運びが途端にリズムを乱す。それまではわざとこちらに合わせていたわけではなく、何気なく勝手に体が反応し、知らぬ間に歩調が合っていただけ。だから、リズムが狂うほうもしかり。本人は、なぜリズムが狂ってコケそうになったのか、きっとわからないはず。みんな、そんなことを考えながら行動しているわけではないからだ。

 以前の取材の際、元OPBFウェルター級チャンピオン長濱陸(当時、角海老宝石、現・石田)が「スローな動きに弱い生物の本能」について語ってくれた。

「虫は速い動きには反応するけれど、遅い動きには対処できない」。子どものころのセミやトンボ捕りを思い出させてくれ、実にわかりやすく解説してくれた。これはなにも“子どもの世界”の話だけではない。いまでもそう。ハエや蚊を捉えるとき、速い動きで捕まえようとするとどうしても逃げられるが、ゆっくりと近づいていくと奴等は微動だにせず、いとも簡単に捕まえられることが往々にしてある。それを長濱は「生き物はスローな動きには気づかないもの」と言って、サイドブレーキを引き忘れた車を例としてさらに挙げた。つまり、ブレーキのかかっていない車が、坂道を急激に下りていけばびっくりして誰もが気づくが、サイドブレーキをかけ忘れた車の、ほんのわずかの移動には気づかない──。それが人間、生物の性なのだ、と。

 軽快にリングを動き回る桑原拓を、ユーリ阿久井政悟はまさにじわりじわりと追い込んでいった。決して阿久井の動きがスローというわけではない。桑原が速すぎるのだ。でも、阿久井は桑原に乗じた速いステップ、速いフットワークを使わない。むしろ、のしのしとにじり寄る。歩いていく。追うではなく、桑原が移動する方向を予測し、最短距離で近づいて防ぐ。そんな感じだ。観客たち第三者からすれば、「なんであんなに速い桑原が追い込まれているのか」わからないかもしれない。

 追い込んだ阿久井は、やはり速いコンビネーションを見舞うなどということをしない。それはリング中央の戦いでもそう。いたってシンプルに、しっかりと自分の打ち方でジャブ、右ストレートを打つ。

 桑原の超速のコンビネーションに慌てる様子も一切なかった。両腕でしっかりと止める。あるいは、両腕を動かして受け流す。打撃音が小気味いい。リズミカルな音を奏でることで、桑原がペースを握ることも考えられたが、ガードの上を打たせている阿久井もまた、心地よさすら漂わせた。桑原のハイテンポのコンビネーションが、阿久井の体に染み渡る。軽快なリズムを浸透させる。ワンツー、ワンツースリー、ワンツースリーフォー……。桑原が連打を繰り返し、数を増やし、テンポを上げれば上げるほど、それは阿久井にもリズムを授け、桑原の攻めのリズムをも把握させたように感じた。

 どんなに速い動き・パンチを打つ選手でも、フルラウンド、1秒も止むことなく継続的に動き続け、パンチを出し続けられる者はいない。一瞬でも動きを止め、呼吸をする瞬間がある。阿久井はその“間”を把握していた。待ち構えていた。そこにジャブを差し込む。右ストレートをポンと合わせる。左フックを上と下に振る。相手からすれば、たとえそれをヒットされなくても、この“間”を埋められるのは苦しい。休まる瞬間が奪われるのだから。

 阿久井が取得していた“間”は、どの距離でも生きていた。しかし、その“間”を生かすには、最も基本的な攻撃であるワンツー、テンポよく速く打ち込むそれは不要だった。ワン、いわゆる左ジャブに反応されて、続く右ストレートはあっさりとかわされてバランスを崩す可能性も生じる。速く動き、速いパンチを放つ選手は、相手のスピードにも機敏に反応できるもの。攻めも守りも“スピードの世界”で生きているわけだから、対応力は高い。

 事前にそう考えて、あるいは試合中にそう感じ取って、ジャブにしても右ストレートにしても“合わせる”に近い感覚で打つ。しかも、単打で。打つという“気”を消して、ポンと出す。かつての佐藤洋太(元WBC世界スーパーフライ級チャンピオン)や、最近では三代大訓(当時ワタナベ、現・横浜光)が演じてみせたようなジャブ。単打を確実に当てるのは、別府優樹(元WBOアジアパシフィック・ウェルター級チャンピオン)を攻略した豊嶋亮太(帝拳)にも共通した。彼の場合、連打のやはり間隙に、別府の強打を合わされるのを避けた気がする。単打を確実に当てて弱らせる選択である。

「ジャブは予想以上に当たりました」と阿久井は言った。左も右も、いずれも「ノーモーション」。はなからスピードを出そうという気がないし、打つ気配も消えているから、予備動作もない。だから当たる。

 翌日の午後、LINEが届いた。送り主は前夜のヒーローだった。まもなく岡山に着くという。新幹線の中からだったのだろう。開いてみると、会場のスクリーンにスローモーションで映し出されたフィニッシュシーンの動画、さらに「理想のパンチで決めれてました笑」というひと言。自分自身もわかっていなかった風だ。続けて「BE WATER、MY FRIEND」というブルース・リーのスタンプ、そして哲学を語るリーの動画。

「心を無にするんだ。決まった形を持つな。水のように。水をコップに入れれば、コップの形になる。ビンに入れればビンの形に、急須に入れれば急須の形に。水は流れる。激しく叩きつけることもある。水になれ」

 格闘技の究極です、と阿久井はLINEを締めくくった。

 かつては「弓を引くようにして放つ」、「左で照準を合わせて、同じ軌道を通るようにして打つ」と自身の右ストレートを表現してくれたが、この日はそういう右を最後の最後まで打たなかった。そしてその最後のワンツーも、基本中の基本と言われるタイミングのワンツーとも異質のもの。ワンツーではなく、ワン・ツーと、ワンクッションの“タメ”があった。このタメが、さらなる違和感をもたらしていたのだった。

 精神的にも肉体的にもじりじりと桑原にダメージを与え続け、待って待って待ち抜いた末に訪れた瞬間──確信を持ってねじ伏せにいった、狂気を孕んだ見事な右だった。

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