DRY EYE 非感情的ボクシング論

第4回 Cubism 中谷潤人の多様性

  2月24日のWBC世界バンタム級タイトル戦で中谷潤人(M.T)がみせたボクシングは、セオリーをつき詰めて高みを究めた井上尚弥(大橋)のスタイルとも趣を異にし、高い自由度とリスクの共存が逆に可能性の幅広さを感じさせる甘美な訴求力に富んでいた。苦闘の可能性すら払拭しきれずにいたアレハンドロ・サンティアゴ(メキシコ)戦が、ワンサイドに終始した誘因は2つ挙げられる。中谷のジャブの変化と試合当日の両者のウェイトの相関関係だ。だが、それは中谷潤人のボクシングのほんの一断面にすぎない。

文_増田 茂 Text by Shigeru Masuda 写真_山口裕朗 Photos by Hiroaki Yamaguchi

■当てないジャブから当てるジャブへ

“COMPUBOX Punch Stats”の妄信者にとって、さながら中谷はアンチテーゼを具現化したような存在ではないか。たとえば、テレンス・クロフォード(アメリカ)がエロ-ル・スペンス・ジュニア(同)戦で叩き出したキャリアベスト・データを、井上とのパウンド・フォー・パウンド(PFP)比較ネタとして使い回していたアメリカ系メディアにしてみれば、今後のPFP上位候補である中谷の持つ数字は取るに足らないものだろう。

 クロフォードのパンチの総ヒット率は50.1%に達し、ジャブだけに絞っても42.2%だった。これに対し、サンティアゴ戦を含む中谷の直近3試合の総ヒット率平均は20.7%。ジャブは平均11.7%にすぎない。とりわけアンドリュー・マロニー(オーストラリア)戦では、272発ものジャブを打ち出しながらヒットは12発だけで、4.4%という稀有な低ヒット率を記録している。決して相手がディフェンスの達人だったというわけではない。

 昨秋アップした『中谷潤人/自信と冷静、迂闊さの共存』の記述と重複するが、もとよりパンチの特質上、ジャブが必ずしも当てることを一義としたパンチでないことを考慮しても、中谷のジャブには手を入れる余地が大きいと思われた。サンティアゴ戦前に手を放した4月刊行予定の日本ボクシング年鑑2024年版にこう書き添えておいた。

「バンタム級ではサイズのアドバンテージも目減りする。フトコロをつかせては押し負けるケースも多くなり、(マロニー戦の)3ラウンドに被ったバッティングによるカットのような不測の事態も増えるだろう。そんなリスク回避のため、ヒットを一義とせずフェイントやリードブローに振り分けている右ジャブを、確実に当てて相手を止め、削るパンチとして多用するのがベターだ」

 直近3試合とまとめてしまったが、実はサンティアゴ戦での中谷の右ジャブのヒット率は20.17%まで上がっている。その推移を追うとマロニー戦4.4%→アルヒ・コルテス(メキシコ)戦10.6%→サンティアゴ戦20.17%。またラウンド平均のジャブのヒット数推移は1発→5.3発→7.8発というものだ。COMPUBOX社が計測する“PUNCH STATS”は試合分析に有用なデータだが、サッカーのポゼッション率(ボール支配率)に似た側面もある。意図的にボールを持たされ、泳がされただけで勝敗と一致しないケースは珍しくない。パンチを当てることに固執せず、それでいて鮮烈に、または大差で試合を終わらせる中谷は、より効率の良いボクシングをしているという逆の視点も成立するのではないか。

 身長173㎝の中谷の、直近6人の対戦相手の平均身長は約164㎝。サンティアゴはさらに5㎝低い。試合が始まって向き合うと中谷のスタンスがいつも以上に広く、その分だけ上体のポジションは低く感じられた。スタンスは前後イーブンではなく、後方により長く伸びた左脚の大腿部は前戦より太くなっていた。上体・重心は通常のセンターより前掛かり。まるでフォーム自体が不退転の自己主張をしているかのようだ。

 バンタム級の「圧」を前固めのフォームで受け止め、ジャブで確実に弾くことで後続のパンチの精度と効果も上がる。準備は整った。

■コークスクリュー・ストレート

 タイトルを獲得した昨年7月29日の対ノニト・ドネア(フィリピン)戦でのサンティアゴは、タフで機敏で、機動力に富んでいた。3ラウンドに、対ドネア初戦で井上尚弥が右目眼窩底骨折を被ったケースと似たパターンの左フックを食ったが大事に至らず。試合が進むにつれてドネアは動き負け、打ち負けた。

 もっとも、中谷戦を想定するなら21年11月27日のゲイリー・アントニオ・ラッセル(アメリカ)戦がより有用なテキストとなる。身長170㎝のサウスポー、ラッセルは18勝12KO無敗。バンタム級時代の井上尚弥の挑戦者候補にピックアップされたこともあった。

 強い右ジャブで接近を阻止しようとするラッセルに対し、サンティアゴはその打ち終わりをついて踏み込んで左右フックの上下打ちに肩や頭も動員。ロープに押し込んでいった。

 中谷に対して、時間的・空間的な間を潰すことに腐心していたフランシスコ・ロドリゲス・ジュニア(メキシコ)のように執拗なクリンチ、ホールディングは用いないが、バッティングに関してはやはり意に介さない。

 ただし、インファイティングには固執せず、必要に応じて自ら下がって回り込む足がある。後半は対応に疲弊したラッセルのボディをコンスタントに削っていった。

 一方で、クロスレンジでのパンチの打ち出し位置が低く、振りはワイドだ。試合終了直前、大振りの左フックの内側にラッセルの左をカウンターで食ったサンティアゴは、やや辛めの0-2の判定を落としていた。

 中谷なら右フックは狙い目と思われたが、結局のところサンティアゴは中谷のインをつくところまで行けずに終わった。

  非常に興味深いデータがある。試合当日の夕刻に計測された両者のウェイトだが、サンティアゴは59.6kg。計量時から6.2㎏リバウンドして中谷を2.2㎏も上回っていた。同じく両国のリングに上がったジェルウィン・アンカハス(フィリピン)に挑んだ18年9月28日のIBF世界スーパーフライ級タイトル戦から、サンティアゴの試合は見届けてきた。この日の上体は最も分厚く、ステップも重々しいものとなっていた。

 中谷のパンチが活きる間合いを潰して土台(下半身)を崩し、ロープを背負わせ、上体を押し付けながら削っていくためのウェイトだったことは想像に難くない。だが、ボディコンタクトやプレスの「圧」の強さと引き換えに、サンティアゴは表裏を成すもう一方の美点、イン・アンド・アウトと回り込みの早い足を失っていた。結果的に、彼は前後にも左右にも機敏に動けない重い標的として中谷の正面に立つこととなった。

 サンティアゴが中谷に打ち込めたダメージングブローは2ラウンド終了間際。右スイングフックを胸部に浅く受け、左を打ち返そうとした中谷の右アゴを先にカウンターでとらえた左フックくらいのものだった。

 試合を終わらせた6ラウンドについて、中谷は意識的にテンポを変えたそうだが、フォーム自体も5ラウンドまでとは変わっていた。後ろ足を引き寄せて上体をやや立たせ、サンティアゴの動きによりクイックに対応してハードヒットが可能な態勢を整えていた。そして、ダメージングブローと化したジャブで止め、3ラウンドにもみせたヒジと手首の返しを利かせた左コークスクリュー・ストレートをねじ込んで奪った最初のダウンで、試合は事実上終わった。

キュビズム/多元的ボクシングの終着点は

 サンティアゴはウェイトの選択ミスを犯しただけで、さして珍しい話ではない。より注目すべきは57.4㎏という中谷のウェイトだ。これは昨年9月18日、WBO世界スーパーフライ級王者としてコルテス戦を迎えたときの当日ウェイトを1㎏下回っている。計量時からのリバウンドでみるならコルテス戦の+6.4㎏に対し、今回は+4.1㎏にとどまった。この逆転現象はいかに生じたものか。

 以下は、再び前回アップ分からの抜粋だ。「事前に噂されていた通り、転級まもないにもかかわらず中谷の減量苦は明らかで、6.4㎏のリバウンドは中谷のボクシング自体にも少なからぬ影を落としていたように思う」

 つまり、これは減量で疲弊した肉体のリカバリーに要して摂取した飲食物の質量の差が生んだ逆転現象だった。標準よりはまだやや軽めのバンタム級というのが現時点での中谷のベストウェイトなのだろう。多少の軽重よりもパフォーマンス・レベルを一義としたウェイトの選択は、近年のウェイト制競技で忘れられがちな本質にほかならない。

 一般論として、アメリカやヨーロッパ諸国に比べ、日本では減量の限界近くまで引っ張った上でようやく階級アップを図る傾向が強い。今回の中谷や、これまで井上尚弥が新階級登場の度に世界を瞠目させてきたパフォーマンスも、本来あるべきウェイトの下で生まれたと見なすべきなのではないか。基本的に日本プロボクシング界には“MONSTER”を生みだす土壌があると言えるだろう。個人差はあるものの、前提条件は自然な肉体的成長が完全に停止する以前であること。中谷と対照的な例が、世界戦としては同じくバンタム級デビュー戦だったアンカハスだ。スーパーフライ級王者として9度防衛の後、フェルナンド・マルティネス(アルゼンチン)に大差で連敗。バンタム級に上げたアンカハスはすでに32歳になっている。ウェイトを上げた分だけ逆に攻防両面に鈍りが感じられ、パワーは相対的に落ちていた。

 中谷は現在26歳。このままバンタム級としてフィジカル面でのピークポイントに達するのか。それとも次なるステップでそれを迎えるのだろうか。サウスポー(しかも右利きの)ボクサー型として、史上最も多元的なスタイルを持つ中谷の完成型は容易には想像し難い。井上尚弥のボクシングは、異なった角度からみても、高く安定したクオリティの下に展開されていることが万人に容易に解る。一方、中谷潤人のボクシングは角度を変えるとまったく違うものが見えるか、若しくは理解不能に陥ることすらある。ガードやモーションにいまだに問題点を残しながら、修整を施すよりも他の色で塗りつぶしてしまう。そこに中谷潤人のキュビズム的ボクシングのエッセンスがみえる。

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