
WBO世界フライ級チャンピオン、アンソニー・オラスクアガ(アメリカ=帝拳)の初防衛戦が間近に迫った。日本のリングに上がるのは4度目。“アンソニー”の愛称である“トニー”という呼び名のほうが、ファンには馴染んでいるだろう。エネルギッシュな攻撃と、チャーミングな笑顔。人々をたちまち虜にしてしまう25歳のパンチャーは、荒んだ路地をさまよった幼い日、ベテラントレーナー、ルディ・エルナンデスの一家に迎えられた。アメリカ・カリフォルニア州ロサンゼルスで名の通るボクシング・ファミリーに暮らし、中谷潤人(M.T)という同志を得て、だからといって特急列車に乗って、ここまで来たわけではない。
写真_山口裕朗 文_宮田有理子 Photos_Hiroaki “Photo Finito” Yamaguchi、 Text_Yuriko Miyata
“出来の悪い息子”は、世界のベルトを巻いた
世界チャンピオンとして初めてのトレーニング・キャンプ。ロサンゼルスから日本へ旅立つ前の、最後のスパーリングを終えた9月23日、オラスクアガの笑顔に、充実と安堵が広がった。
「いいキャンプになった。すべてうまく進んだと思う。今回もジュントと一緒にトレーニングできて、とてもうれしかった。もう一人の世界チャンピオンのモチベーションになれていると感じることが、僕のモチベーションになった。もっと強くなりたい。自分がなり得る、最高の自分になりたいと思うんだ」
日本のボクシングシーンに、もう馴染みの顔になった。東京・有明アリーナで行われる2夜連続のビッグイベント「Prime Video Boxing10」を彩るタレントの一人として、技巧派サウスポーの元WBO世界ライトフライ級王者ジョナタン・“ボンバ”・ゴンサレス(プエルトリコ)を相手に、WBOフライ級王座の初防衛に挑む。
「日本でまたファイトできてとてもうれしい。これで4回目だけど、毎回、ファンの皆さんからの愛を感じて、日本のボクシングの一部になれていると感じているよ。またジュントと同じイベントに出られて、なんてラッキーなんだろう。ジュントのようなグレートになりたいって思うし、何と言っても、先にリングに上がる僕は、ジュントが準備している控え室に、よいニュースを持って帰らなくちゃいけない。悪いニュースじゃなくてね。前回は、そのミッションを果たすことができて、最高に幸せだった」

今夏7月20日、満員で埋まった東京・両国国技館で行われたWBO世界フライ級王座決定戦。上位ランカーの加納陸(大成)を3回2分50秒KOに破り、世界2階級制覇者ジェシー・“バム”・ロドリゲス(アメリカ)が返上したタイトルを獲得した。懸命に反撃を試みるサウスポーのガードを右フックで振り落とし、左アッパーでアゴを跳ね上げて倒し切り、プロ8戦目で勝ち取った世界王座とともにあったのは、涙ではなく、穏やかな笑みだ。対戦者を称え、リングを下り、花道に駆け寄るファンの祝福に応えながら、新チャンピオンは控え室へと急いだ。
中谷とオラスクアガが初めて揃って世界戦に臨んだあの日、チームは大忙しだったのだ。エルナンデスはオラスクアガのKOを見届けると、すぐさま裏へ飛んで戻り、メインを務める中谷の準備にとりかかっていた。WBOのベルトを腰に、皆が待つその部屋のドアを開けたオラスクアガは、開口一番、叫んだ。
Rudy, I am not a “dumb ass”anymore! (ルディ、僕は“バカ者”を卒業したよ!)
満面の笑みで、誇らしげに叫んだオラスクアガに、エルナンデスは吹き出すのをこらえて言い返した。
You are still a “dumb ass”!…with a certified title. (おまえはずっと“バカ者”さ、証明つきの肩書きがついたけどな)
「いいでしょう、僕らの挨拶。涙はなかったからね、勝った時には。涙は出なかった。泣いたのは、試合の前だけ。バンデージを巻いてもらう時。手を止めて、ルディが言ったんだ。“トニー、これがおまえにとってどれだけ大事な戦いか、わかるな”って。気づいたら目から涙が落ちてた」
その大事な戦いを見守るため、同行していたエルナンデスの妻キャロルは、向かい合う二人を写真に収めた。昔気質なルディにとって、トニーはいつも“出来の悪い息子”。“dumb ass!”と叱ってばかりいないでたまには褒めてあげてほしいと願ってきたが、言葉で突き放しながら、ルディはいつでも彼の未来を案じてきたのだ。血縁はない。法的な縁組もしていない。しかし、トニーは家族の一員である。

出会いからずっとルディはコワい人だった
ファミリーの日々は、7歳と44歳の出会いに始まる。
息子マイケルが小学校の友達トニーを家に連れてきた日。たまたまリビングのソファに座っていたエルナンデスは、肩をすくめ自分と目を合わせずに子供部屋へ向かおうとした少年を呼び止めた。
「ヘイおちびさん、こっちへ来な」
びくっとして立ち止まったトニーと、目があった。
「おまえさん、誰なんだい?」
トニーがおずおずと答える。
「僕の名?……トニーだよ」
「トニー? それが、ママがつけてくれた名なのかい?」
「アンソニー……」
「アンソニーだけじゃないだろう?」
「アンソニー・オラスクアガ」
「オラスクアガ? それはまた珍しい名だなあ。オーケー。オレはルディ・エルナンデスだ。よろしく」
そう言って少年に手を差し出し、握手をかわした。
初対面からそんな具合だから、エルナンデスはオラスクアガにとってずっと、「こわい人」。
「いつもマイケルに、“ルディは今日いない?”と確かめてから、家に遊びに行くんだ」。

キャロルはマイケルと同じようにトニーを可愛がった。サッカーのゲームには一緒に連れていくし、夕飯もともにする。
だが中学生になり、マイケルと別の学校に通ったトニーは、別の仲間と夜な夜な路地を彷徨った。
「僕のファミリーは、いいファミリーじゃなかった。家にいたくなくて、いつもどこか行く場所を探していたんだ」
母と6人の子どもたちに暴力を振るう父はやがてメキシコに強制送還され、母は生活に疲れ切っていた。車で出かけたり外食をしたりという思い出もない。
夜が更けても通りを歩くその姿を、エルナンデスはたびたび目撃した。近所の大人たちが、彼に声をかける。ヘイ、トニー、最近どうだい? ニコニコと手を振る少年を、みんなが見守っていた。
「悪い仲間とつるんでいても、間違いなくトニーは愛される少年だった。不思議な魅力、カリスマというのかな。悪ガキだけど、いい性格が隠せない。そうでなければ、彼のことを心配したり家に迎えたりしないさ」
エルナンデスとキャロルは相談し、トニーの母と連絡を取る。トニーをマイケルと同じ中学に転校させて、1学期間、エルナンデス家で預かることになった。
「落第寸前だった成績をまずどうにかしよう、ということになってね。うちでしっかり生活させて、マイケルと同じルールで、宿題をしないと遊びに行かせない。そうしたら成績はFからBに上がったの」
無事、落第を免れたオラスクアガは、夫婦に願い出た。
「もうちょっと、この家にいてもいい? ママにはちゃんと言ったから」
夏が過ぎ、秋が来て、クリスマスが近づいても、家に戻る様子はなかった。
そんな年末のある日、オラスクアガの悪戯に激怒したエルナンデスが、“即刻退去”を言い渡す。
少年を実母の元へ引っ張っていったエルナンデスは、だが、暗い部屋の中を見た瞬間に翻意した。
「ここに、トニーの将来はないと感じた。母親は私の提案を拒まなかった。私はトニーに言った。“いいか、歳が明けたらすぐにうちに戻って来い。これは、お願いじゃない。命令だ。いいな、うちでずっと暮らすんだぞ”」
私の家は、あなたの家
ボクシングの名コーチと才能の運命的な邂逅。ではないと、オラスクアガは否定した。
「ルディとキャロルの気持ちだけが、そこにあったと思っているよ。二人がいなかったら僕は今ごろどこにいたのかな。僕を家族として受け入れてくれた。僕をボクサーにしようとしたからじゃない。彼らは、僕がストリートから抜け出して、希望のある人生を送るっていうことだけを望んでいたと思う」
エルナンデスが生まれ育ったロサンゼルスのサウスセントラルと言えば、泣く子も黙るゲットーだ。
ヒスパニックが多数派の“イースト”に住むラテン系と、元は黒人コミュニティの“サウス”に住み着いたラテン系とでははっきり気質が違うと、エルナンデスは言う。犯罪や争いの火種だらけの日常を、生き抜く強い精神と肉体が、サウスの子どもたちには必要だった。6人の子を養う父ロドルフォは、長男ルディ、やがて名ボクサーとなる三男ヘナロら4人の息子たちにすこぶる厳しかった。しかしエルナンデスが見ていたのは、口が悪く気の短い父の中にある人情だ。近所の子どもたちを集めてサッカーやボクシングを教え、腹を空かせた人を見ればハンバーガーをまとめて買ってくる。ファミリーが“ママズ・ハウス”と呼ぶサウスセントラルの実家は、「Mi Casa es Tu Casa(私の家はあなたの家)」、エルナンデス家の信条が生き続ける場所だ。
90年代にWBA、WBC世界スーパーフェザー級チャンピオンとなったヘナロが大きなファイトマネーを手にするたびに少しずつ広げ、直し、現在に至るその家は、リビングルームを囲むように個室が配置されている。やがて15歳の中谷潤人がそこで寝泊まりすることになるのだが、エルナンデスがここで寝食を提供した子どもは、10人を超えるのだという。ストリートから救い出し、ある子は数日、ある子は何年も。「ウチにいていい条件は、ちゃんと学校に行って、宿題をすること」。話を聞き、学校へ行かせ、社会へ巣立っていった彼らが家庭を持って、我が子の写真を送ってくるという。
自らも父によって導かれ、若くして現役を引退し、弟をサポートし、人生のほとんどをボクシングの世界で生きてきたエルナンデスは、ママズ・ハウスで暮らす子たちを、一度はジムに連れて行く。
「ボクサーになってほしいからじゃない。成長の機会があるからだよ。ジムに行けば、学びはいくらでもある。他の子や大人と交流して、必ず何か新しい発見や経験があるだろう。トラブルもミスも痛みもあるだろう。それでいい。そこから、自分で立ち上がって、対応する方法を考えていくんだから」
オラスクアガももれなく、ジムに送り込まれた。エルナンデスが課したのは2週間。最初の1週間は前後左右のステップだけ。2週目でリングに入り、ジャブからワンツー、シャドーボクシングまで。小柄ながらフットボールでもバスケットボールでも、スポーツ万能な少年は、ボクシングの基本動作も滑らかだった。「ナチュラルなアスリート」ぶりが、エルナンデスの目を喜ばせた。しかし、オラスクアガの記憶では、「1週間と思ったけど……。続いたら10ドルあげる、とルディが言うから行ったけど、ただただ退屈だった」というこの短いレッスンは、少年をときめかせることなく終わった。
何事もなかったように年月は過ぎ、そして、中谷潤人がやって来る。
エルナンデスの一計による、オラスクアガ14歳の生涯初スパーリング。ボクシングに生きる覚悟の15歳のボディブローに崩れ落ち、号泣し、それがボクシング人生の始まりとなる、いまやファンの誰もが知るエピソードだ。
「喧嘩では負けたことがなかったから自惚れていたけど、大きな間違いだった。強くなって、いつか必ずジュントを倒し返そうと思った。でも、最初はそれが目標だったはずが、ボクシングに一生懸命になっていったんだ。ボクシングに、他のスポーツにはない難しさを感じたからだと思う。ルディに言われたよ。“ジュントに感謝しなくちゃな”。本当にそのとおりだと思った」

拳四朗ともう一度、戦いたい
オラスクアガの身体能力、度胸、上達の速さを、エルナンデスは“バム”・ロドリゲスとのスパーリングで確認していた。すでに同年代のアマチュア全米トップだったロドリゲスは、アメリカで最も忙しい指導者の一人ロベルト・ガルシアの愛弟子。ガルシア17歳の日本デビューに同行した仲のエルナンデスは“弟”のジムを、オラスクアガを連れて訪れた。
「ボクシングに取り組んで1年で、あのバムと、まったく悪くないスパーをしてみせた。また1年ほどしてから連れて行ったら、ほぼ五分五分と言っていいくらいに渡り合ったんだ」
だがエルナンデスは、小躍りしたい気持ちをあえて抑えてきたという。この業界の厳しさは痛いほど知っている。才能があっても、努力をしても、陽の目をみる者はほんの一握り。とりわけ軽量級ボクサーがアメリカで成功したら、それだけで歴史になる。強くなることに一途なジュントの姿勢に感銘を受ける分、おしゃれも遊びも好きで、ジムでもストイックさより愛嬌が優ってしまうトニーに対しては、言葉がきつくなった。
「やるなら、10戦以内に世界チャンピオンになるつもりでやってみろ」
達成するには、まずアマエリートの称号が必要だ。だがアマチュア・デビューした矢先に、手を痛めた。バランスのよいスタンスから放たれる強打が、自らの拳を傷つけた。手術に踏み切り、2019年秋のラストチャンス・トーナメントで準優勝。全米で各階級8名だけが出場できる東京五輪の国内トライアルに滑り込み、第1シードのマイケル・アンジェレッティ相手に金星を挙げてみせる。しかし喜びは束の間だった。その夜に体調を崩し、トーナメント続行を断念。2020年、パンデミックの禍中にプロデビューし、2022年になってやっと年3試合を行い、世界ランク入りも果たす。プロ5戦5勝3KO。
思いがけないチャンスがやってきたのは、そんな時だった。
2023年4月8日、WBA・WBC世界ライトフライ級チャンピオン、寺地拳四朗(BMB)に挑戦。
統一戦を行うはずだったWBO王者ジョナタン・“ボンバ”・ゴンサレスの発病・撤退で、4月15日の韓国遠征を前に東京で調整していたオラスクアガに白羽の矢が立った。エルナンデスから知らされたのは3月22日。最初はボンバに挑戦するものと勘違いしたが、拳四朗への挑戦と聞いても、答えは同じだった。
「もちろん、って即答。断る理由なんて、あるのかな。チャンスなんて一生に一度、あるかないかなんだ。何年もボクシングをやってきて、いま準備ができていない、なんて言って断るなら、永遠にその日は来ないよ」
煌くビッグステージで対峙した拳四朗は、過去2度のスパーリングで感じたどちらの拳四朗とも違った。
緊迫の攻防の中でみせるオーラと、精度。自分の中には、味わったことのない疲労感がたまっていった。
9回、ロープに下がったために止められたのは仕方ないと思う。
「よく頑張った」というルディの言葉を聞くと、涙が止まらなくなった。
航空券を急きょ手配し、リングサイドで見守ったキャロルは、泣き崩れたトニーの、それからの生活に確かな変化を感じた。食事も時間の管理も、明確な目標のためにあった。
「1敗がついたけれど、ほんとうにたくさんのものを得た1戦だった。たくさんのことを学んだ。拳四朗のパンチは、一つひとつに意味があった。あの時の自分の全力を出した結果だから、足りないものがわかった。だから、チャンスに手を挙げた自分は間違ってなかったって思える。あの戦いで、たくさんの人が、アンソニー・オラスクアガが何者かを知ってくれたし、今まで僕のことを信じてきてくれた人たちにも、僕がチャンピオンになれる人間だっていうことを示すことができた。だから、もし次のチャンスがもらえたら、絶対にチャンピオンにならなくちゃいけないと思った。負けたらもうその先はないし、勝てば自分の人生が変わる」
無冠戦を挟んで、決まった加納との王座決定戦。そのロサンゼルス・キャンプの最終日、サウスポーを相手にエルナンデスが「過去最高」と評したスパーリングの最終ラウンドのラスト20秒で、異変があった。リングを下り、脇腹を痛めたというオラスクアガに、エルナンデスは両手で頭を抱えた。だが、オラスクアガは頼もしかった。「何とかなる。何とかしよう。ボクシングは、何だってある。怪我をしていてもポーカーフェイスで戦わなくちゃいけないんだから」。
痛みを隠して勝ち取った、3回KOだった。
控え室にグッドニュースを持ち帰ったオラスクアガを、“dumb ass !”と呼んだエルナンデスは、中谷とオラスクアガ、二人のチャンピオンとともに翌日の会見に臨み、こう言った。
「彼らの努力、ハードワークなくして、今はない」
記者たちに向かって言うその言葉を聞き、オラスクアガは師を見て嬉しそうに笑った。
チャンピオンとして初めて臨む戦いが迫る。元世界王者“ボンバ”の技巧を乗り越えてベルトを守り、戦いたい相手がいる。寺地拳四朗ともう一度。
「あの戦いから、僕がどれだけ成長したかを自分が知りたいんだ」
寺地はフライ級に上げて同興行第一夜の昨日13日、元王者クリストファー・ロサレス(ニカラグア)の鼻を折って11回TKO勝利を収めた。空位のWBC世界フライ級王座を獲得し世界2階級制覇。「統一戦」への意欲も語っている。現WBO王者アンソニー・オラスクアガは今日、追いかける。



ボクサーへの愛を感じられる記事、いつもありがとうございます。
いつもお読みいただき、本当にありがとうございます。
Rudy先生とAnthonyとの出会いから今日に至るまで 何度も読み返してしまいました
素敵なコラム ありがとうございます