DRY EYE~非感情的ボクシング論~

第7回 インファイティング

CHAPTER2 インファイターたちの栄光と凋落

 およそ150年前まで、インファイティングこそがボクシングスタイルのスタンダードだった。いわゆるベアナックル・ファイトとは組み打ちありきのフルコンタクト競技だったのである。一方、アウトボクシング、ヒット・アンド・ラン、イン・アンド・アウトなどは後づけの戦術として異端視されつつも、近代社会への適応に向けて繰り返されたルールのマイナーチェンジと共に、次第にそのポジションを上げていく。そしてボクサー型とファイター型の対戦はマッチメイクの基本形のひとつとなり、ライバル対決における必要不可欠なファクターとして幾多のモニュメントを ボクシング史に打ち立てていった。

文_増田 茂 Text by Shigeru Masuda

■スモーキン・ジョーの“The Fight”

ピューリッツァー賞作家ノーマン・メイラーの手記を掲載したライフ誌

 1971年3月8日。マディソンスクエア・ガーデンで行われた“The Fight”。2年7ヵ月のブランクを経て再起した元王者モハメド・アリ(31勝25KO)と、アリなき時代のヘビー級を制した現役王者ジョ-・フレイジャー(26勝23KO)。敗れざる者たちによる世界ヘビー級タイトル戦は、インファイターにとって史上最高の栄光のステージとなった。

 スピードとタイミングを一義とした同級最速のパンチとステップを持つ時代のアイコン、アリと、オリンピック金メダリストに似つかわしくない、武骨で口下手で愚直なファイター型のフレイジャー。そんな対照的なキャラクタ-の両者が、リング上に鮮やかなコントラストを描き出す戦いが期待されていた。

 だが、試合はそうした構図通りには進まなかった。アリはブランク前のようにステップを軽快に踏み続けることが出来なくなっており、上体を忙しなく振りながら迫りくるフレイジャーを捌ききれなかったのである。

 フレイジャーを迎え撃つアリのジャブ、右ストレート、左フックは相当数ヒットしていたが、その突進を止めきれぬまま、アリは打ち合いに巻き込まれていった。

 おなじみのCOMPUBOXが2018年に発行した“Muhammad Ali : By the Numbers”に、試合映像から測定したPUNCH STATS(パンチのヒット数・ヒット率データ)が掲載されている。アリは893発のパンチ中330発をヒットしてヒット率は37%。フレイジャーは631発打って378発ヒットでヒット率は59.9%。交換したパンチのラウンド平均は101.6発にも上がった。

 2024年度のヘビー級ベストバウトである世界3団体タイトル統一戦で、WBO&IBF王者オレクサンドル・ウシク(ウクライナ)は全407発のパンチ中170発をヒットしてヒット率41.8%。WBC王者タイソン・フューリー(イギリス)が496発中157発ヒットしてヒット率31.7%だった。こちらは12ラウンド制だが交換されたパンチのラウンド平均は75.25発だ。アリとフレイジャー戦がいかにポジティブな打撃戦に終始したかが判る。

 10ラウンドまで拮抗していた展開は、続く11ラウンドに左フックを食ったアリが大きく腰を落としてからフレイジャーに傾いた。

 迎えたラストラウンド。開始30秒も経たぬうちに、フレイジャーが伸び上がるようにして打ち出した左フックが右アゴをとらえ、アリは背中からキャンバスに落ちた。立ち上がったアリは、ジャブとクリンチを駆使してフレイジャーの追撃を凌ぎ、辛うじて試合終了のゴングまでたどり着いた。

 ニューヨーク州で採用されていたラウンド制採点法によるスコアは、8-6-1、9-6、11-4で現王者の防衛を支持していた。

 フレイジャーの試合を久しぶりに見直すと、SMOKIN’(この場合は煙を上げてひた走る蒸気機関車を意味する)と表現されたエネルギッシュなボクシングにあらためて感銘を受ける。低い背をさらに屈めたクラウチングフォームのまま止めどなく上体をダッキング、ウィービング、ボビングで小刻みに揺らしてジャブ、ワンツーをかい潜る。ときにはジャブをあえて額で受けつつフトコロをついてはボディを叩き、左フックを顔面に返し、またはジャブへのリターンで持っていく。

 身長182㎝。ピーク時で210ポンド少々のフレイジャーは、今日のヘビー級と比べるといかにも小さい。小柄なファイター型パンチャーという点で、マイク・タイソン登場時には何かと引き合いに出されたものだ。瞬発的なパワーとスピードではタイソンが上回るが、ノンストップ・ボディワークに象徴される持久力ではフレイジャーが勝っていた。それはインファイターには不可欠な資質なのだ。

 そして、北米タイトル戦(アリの判定勝ち)を挟んで4年7ヵ月後に行われた両者のラバー・マッチ、“Thrilla in Manila”(アリのTKO勝ち)も初戦と並びリング誌のベストバウトに選出されている。共にピークを過ぎた者同士の潰し合いとなったこの一戦を、筆者はクオリティの点で一般的な評価ほどは買っていない。だが、試合を前にフレイジャーが発した「ブタが餌を欲しがるように、俺はアリを欲している」というコメントは、インファイターとしてのメンタリティを端的に表現した名言として記憶に残っている。

■ウェルター級戦線異状あり

①シュガー・レイを削った“石の拳”

 マニー・パッキャオ(フィリピン)が軽量級から中量級にかけての6階級を蹂躙していった21世紀初頭、4階級制覇王者ロベルト・デュラン(パナマ)との比較論が議論の俎上に上がったことがある。

インファイティングの巧さは群を抜いていたデュラン(左)

 北米プロボクシング界からすれば、共に第3世界からの侵略者と言うべきこの二人の優劣について、筆者はこう判断した。少なくともウェルター級以上ならデュラン有利と。

 パッキャオは、優秀なフィジカル・トレーナーだったアレックス・アリサと決別したことで、次第に強靭かつ柔軟だった下肢の特性を失い、突破力は残しながらも、主武器の左の打ち終わり後に突っ込み過ぎて後続のパンチの繋がりを欠く、フェザー級以前の状態に戻って決定力を大きく落としてしまっていた。

 2009年11月14日、当時横行していたキャッチウェイト(145ポンド契約)でミゲール・コット(プエルトリコ)に挑んだWBO世界ウェルター級戦を最後に、4敗(1KO)を挟んで9連続判定勝利を記録したことは記憶に新しい。また、基本的にパッキャオはインファイターではない。初動のスピードこそデュランに勝るが、クロスレンジにとどまったままショートで打ち合う上質な攻防スキルをパックマンは持ち合わせてはいなかった。

 デュランは右のナチュラルな当てカンをキープしていただけでなく、サイズの大きな相手のパワーをインファイティングで削るボディコンタクト術に長け、同時にクロスレンジでのディフェンスが安定していた。それはミドル級から最終的にヘビー級まで上がり、世界タイトル獲得寸前まで至ったジェームズ・トニーとも重なる美点と言える。

 そうしたデュランの巧さが最大限に発揮されたのが、1980年6月20日にモントリオールのオリンピックスタジアムで王者シュガー・レイ・レナード(24歳/27勝18KO)に挑んだWBC世界ウェルター級タイトル戦だった。

 順調にスターダムを駆け上がっていたモントリオール五輪ライトウェルター級金メダリスト、レナードの犯した最大の誤算は、サイズとスピードのアドバンテージで、元ライト級王者のデュラン(当時29歳/71勝56KO1敗)に打ち勝てると思い込んでいたことだ。

 2ラウンドにデュランの右オーバーハンドが左側頭部にコツンと当って右半身の神経に響き、返しの左フックで右足を躍らせたレナードは、試合前にマネージャー兼トレーナーのアンジェロ・ダンディーと合意していたアウトボックス戦術が頭から飛んでしまった。

 デュランもガチガチのインファイターではないが、クロスレンジで安全地帯を作りながらパンチを打ち出す術にレナードよりも長けていた。身を寄せて頭を右に左に逃がしつつ腕を絡め、肩をぶつけてレナードの体勢に崩しをかけていく。

 ロープを背負いながらムキになって繰り出すレナードの連打は回転こそ速いが、デュランの巧妙なボディ&ヘッドワークに阻まれ、呆れるほどミスブローを繰り返し続けた。

 ロープ際での攻防に利なしと、ようやく気づいたレナードが、中間距離のキープに腐心し始めたとき、もう試合は後半に入っていた。レナードの放つ左ダイレクトフックは見栄えがしたが、デュランの右の当てカンとスピード対応力も最後まで落ちず、試合全般を通じて中間距離でも十分に王者と渡り合っていた。

 オフィシャルスコアは146-144、145-144、148-147と僅差ながら、いずれもデュランの2階級制覇達成を支持していた。

 COMPUBOXによればデュランは898発中315発のパンチを当ててヒット率は35%。レナードは753発中273発のヒットで26%。特筆すべきはデュランの総ヒット中93%までがジャブ以外のパンチだったことだ。デュランはジャブで「間」をとるようなボクシングは一切せず、レナードもまた最後まで打ち合いにつき合い続けて終了ゴングを聞いた。

 このデュラン対レナード第一戦のような、高いIntensity(試合強度・濃密さ)を感じさせる試合には滅多にお目にかかれない。

 ところが、5ヵ月後にニューオリンズのスーパードームで行われた両者の再戦は様相が一変した。レナードは接近しての打ち合いにまったく応じずタッチボクシングに徹し、初戦より見るからに弛んだ体型のデュランを弄ぶようにアウトボックスし続けていった。嫌気がさしたデュランが試合を投げ出してしまった“NO MAS FIGHT”は、「愚直に戦うファイター型を、戦わないアウトボクサーが嗤う」悪夢のような時代の前兆だった。

➁アラモドームの屈辱

Dubious(疑わしき)判定で守られたチャベスの無敗記録

 スポーツ専門誌の老舗Sports Illustratedのカバーが、ヘビー級以外のボクシング試合で飾られることは稀である。デュラン対レナード戦の13年3ヵ月後、テキサス州ヒューストンのアラモドームで行われたWBC世界ウェルター級タイトル戦が採用された1993年9月20日号は、誌名より大きな文字でこう印字されていた。Robbed!(判定を盗まれた!)と。

 リング誌のパウンド・フォー・パウンド(PFP)1位だったメキシコのヒーロー、フリオ・セサール・チャベス(31歳/87勝72KO)が4階級制覇を目論み、PFP2位の王者パーネル・ウイテカ(29歳/32勝15KO1敗)に挑んだ3階級制覇王者対決は、大きな論議を呼ぶマジョリティドローに終わっていた。

 プロモーターのドン・キングの契約下にあり、興行上はAサイドのポジションを占めた挑戦者チャベス側の要請で、試合はウェルター級リミットを2ポンド下回る145ポンドのキャッチウェイト制で行われた。

 ライト級までのチャベスは追い足の速さと巧さ、パンチの回転の速さを兼ね備え、今日の井上尚弥とスタイルの重なるイン・アンド・アウト主体のボクサー型だった。そのチャベスがインファイター化を促進していったのはスーパーライト級に上げて以降のことである。

 ウイテカ戦当時、腰と膝に慢性的な故障を抱え、同時にコカインの常習者ともなっていたとも言われるチャベスは、腰を十分に落としきれずに中途半端に上体が立ったフォームでウイテカを追いかけ回し続けた。

 序盤こそアグレッシブネスでポイントを押さえたが、ディフェンシブで逆時計回りに細かく滑らかなステップを踏み続けるサウスポーのウイテカにジャブでつつかれ、どうにもインファイティングに引きずり込めぬままラウンドを重ねた。捉えどころのなさという点に関しては、当時のウイテカは近代ボクシング史上でも傑出した存在だった。

 そして、強引なボディ連打からパンチを上下に散らして攻め切ったチャベスのベストラウンドと言える5ラウンドを過ぎると、間合いが詰まっては王者にパンチを先置きされ、また回り込まれるという悪循環に陥っていく。

 持ち前の馬力が下降線を描き始めた8ラウンド。中間距離で打ち負け。ウイテカのボディブローから左フックやアッパーをしたたか効かされ、後退を余儀なくされるという屈辱的な展開を経て、チャベスが明白なイニシアティブを掌握できぬまま試合は終了した。

 パンチの総ヒット数とヒット率(COMPU-BOX)は、ウイテカの311発・39%に対し、チャベスは220発・35%と後れをとっていた。

 だが、オフィシャルスコアはそうしたデータと合致せず、115-115が2人に115-113とマジョリティドローでウイテカはタイトルを防衛。同時にチャベスの無敗記録もとりあえず守られた。一方、メディアによる非公式スコアは、AP通信が116-112。リング誌とスポーツイラストレイテッド誌は117-111とウイテカの明白な勝利を支持していた。

 1836年、メキシコ軍がアラモ砦に籠城したテキサス軍を殲滅した古都にある巨大ドームを埋めた、メキシカンが8割以上という6万5千大観衆の目前でのチャベスの事実上の敗戦は、手も足も速いアフリカ系アメリカ人ボクサーの時代到来を告げる一戦でもあった。

■リスク時対応スキルとしての存続

 リング上で、インファイターとアウトボクサーが同じ時間と空間を共有しているとはとても思えない。アウトボクシングで突き放されるインファイターにとってリングはことのほか広く、3分間はあまりにも短い。一方、クロスレンジに閉じ込められたボクサー型にはリングは何とも狭く、3分間は長すぎる。

 そもそも優れたインファイターたる前提条件とは何か。クロスレンジで機能するショートパンチとディフェンス。被弾に怯まず、劣勢にくじけず、ボディコンタクトを厭わぬフィジカル・メンタル両面の一定以上のタフネス、スタミナ…といったところだろうか。

 だが正直なところ、いかに理想的なインファイターを追求してみても、もはや今日のボクシングはそれを以前ほどは求めてはいない。ただし、試合中にそれが必要とされる局面がいつか訪れる可能性は否定できまい。

 比較的最近の試合の中で、リスク対応スキルとしてのインファイティングを巧く使って印象に残っているのが、前IBF世界スーパーミドル級王者ケイレブ・プラントだ。昨年9月14日、ラスベガスでWBA暫定王座を賭けてトレバー・マッカンビーと対戦したプラントは、ライトヘビー級でも戦うマッカンビーのややトリッキーな強打に苦戦。4ラウンドには左フックでダウンを喫するなど予想外の劣勢を強いられた。

 そこで5ラウンド途中から中間距離での攻防を捨て、強引なインファイトにモード変換。肩と頭を使ってロープに押しつけ、左ボディから左右フックでガードの外側に意識を偏らせておいてアゴへ左右アッパーを持っていく。

 見栄えも効率も良くないが、マッカンビーは密着状態では効果的なショートが打てず、ディフェンスも心許ない。削られ続けたマッカンビーは9ラウンド、左ボディから左右フックの集中打を浴びてレフェリーストップ。インファイティングへのモード変換が奏功し、プラントは逆転TKOでタイトルを獲得した。

 前章「井上尚弥とインファイト」で触れたように、ボクシングの技術・戦術のトップ・カテゴリーのポジションを失っても、インファイティングの技術そのものはトップボクサーのオプションの一つとして、サブ・カテゴリーの中で存続し続けることだろう。

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