物語の続き

堤聖也vs比嘉大吾IIその1

文_加茂佳子 Text by_Yoshiko Kamo

写真_宮田有理子 加茂佳子

「ボクシングに戻ったことをいつか後悔するんじゃないか。俺はバンタムで復帰してからずっとそれが怖かったんですよ」

そう比嘉大吾(志成)が、この4年半の間、胸の奥に抱えていたという思いを口にしたのは、WBO世界バンタム級王者の武居由樹(大橋)に負けた4日後のことだった。

7年前、世界王者の計量失格という大失態を犯し、王座と信用を失った。翌日、試合に敗北して無敗レコードをなくし、連続KOの新記録という目前にあった夢も散り、比嘉はそのまま表舞台から姿を消した。

1年10ヶ月後、ライセンスの無期限停止処分が解かれ、階級を上げて復帰したとき、自分がもうかつての自分ではないことを比嘉はわかっていた。フライ級時代の、世界チャンピオンになりたいという一心で、どんな練習の過酷さにも嬉々として耐えていた頃にあった集中力、無垢さ、迷いのなさ。全勝全KOで世界王者まで上り詰めてからの揺るぎのない自信とプライド。

「プライドが持つ力って凄いんですよ。自分に傷を付けたくないから必死になる。それがもっともっと強くという気持ちにさせてくれた」

フレディ・ローチトレーナーと。2018年 世界フライ級王者として、興行「スーパーフライ2」の視察のため米ロサンゼルスを訪れた時のもの

だが突然の転落劇でそのなにもかもを失い、張り詰めていた心の糸はぷつりと切れた。

「取り戻せるものなら取り戻したい。でもそれはもう、無理なんですよ」

だから復帰するにあたり、比嘉は稼ぐこと、を戦う理由に定めた。純粋に稼ぎたかったし、同時にそれは自分を奮い立たせるために比嘉が考えた策でもあった。

取材などで目標を問われれば、世界返り咲きと口にすることもあったが、その言葉に覚悟を込めきれていないことは自分が一番わかっていた。

苦しくはないだろうか。尋ねたことがある。

「どうしようもないんですよ」

それが彼の答えだった。

「俺に出来ることは、野木さんを信頼して俺を追い込んでもらうことだけ。そしたらいつか何か変わるのかな」

復帰して以降、野木丈司トレーナーは、

「しばらくは大吾対大吾の戦いになると思います」と言い続けてきた。

身の入らぬ煮え切らない練習態度に、何度、もうやめちまえという言葉を投げつけようとしたかしれない。

「それでも大吾は休むということはしなかったんです。だから希望はずっとありました。戦う肉体さえ作り上げておけば、心が戻ってきたときにはきっと比嘉大吾らしい戦いがまた出来るんじゃないかと」

かつて比嘉を世界へ導いたこのトレーナーは、比嘉自身の人生のためにもう一度世界を獲らせてやりたいと切に願ってきた。

「大吾はみなさんご存じのようにまわりをぱっと照らすひまわりのような男ですが、どうしようもない闇のようなものを、減量苦、計量失格で抱えてしまったと思います」

辛い記憶がある。2度目のWBC 世界フライ級王座の防衛戦、沖縄での凱旋試合だった。世界挑戦するあたりからフライ級の体重を作るのが難しくなってきていた比嘉が、今回も減量に苦しんでいるのはわかっていた。計量の前日、野木トレーナーはホテルの隣の部屋からドスッ、ガンガンという凄まじい音がするのを聞いた。比嘉の部屋だった。慌てて合鍵でドアを開けると、パニック障害の持病を抱える教え子が、うおおおおっ!!! と泣き叫びながら壁を殴っていた。「半狂乱という状態でした」。

それでもその状態から比嘉はなんとか体を削って体重を落とし、防衛を果たした。計量失格したのはその2ヶ月後のことだ。守ってやれなかった。その思いは今も拭えない。

そしてその恩師の胸中を比嘉は一番わかっている。

「わかってるんです。だから野木さんが、俺自身よりも俺を世界に返り咲かせたいと必死になってくれてることも」

「半狂乱」状態に追い込まれた翌日の計量

辛抱強く、比嘉が戦う火種を取り戻すのを待ち続けてきた野木トレーナーは、WBO世界バンタム級王者の武居由樹への挑戦が決まったとき、これが最大で最後のチャンスだと思った。

「この2ヶ月半、死ぬ気で頑張ってみろ」。

話を聞く比嘉の胸にも期するものがあった。自分の立ち位置的にこの世界戦で負ければもうその先はないだろう。自分のボクサー生活が最後になるか続くのかわからない。もしこれが最後になるのなら全賭けして終わりたい。

恩師の檄に、比嘉は応えた。

「自分に嘘をついて頑張ってみます」

その日からの比嘉はまるで別人になったとジムのトレーナーやボクサーたちは口を揃えた。

試合は3-0の判定で敗れた。武居からダウンを奪った11ラウンド。次の最終回を比嘉が制していれば、結果は変わっていた。

試合後の会見。比嘉は晴れ晴れとした顔で「やり切った」と引退を示唆した。

4日後、会った比嘉は、やはり晴れ晴れとした顔をしていた。この挑戦者の勝利と見る向きも少なくなかった試合。その声も、だからもう一度、と引退を惜しむ声もすでに比嘉の元に届いていた。それでも比嘉に惜敗を悔しがる様子は微塵もなく、むしろ、深い満足と安堵を覚えているように見えた。

「比嘉大吾、やるときはやるなと思いませんでした?」

ケラケラと笑ったあと、すっと顔を真顔にして続けた。

「俺ね、負けてしまったけど、試合までの過程含めて復帰後初めてやり切った、いい試合ができたと思えたんですよ。え、俺、やれたじゃん、って。そしたらね、フライで負けた試合をボクシングの最後にしなくてよかったって、やっと思えて」

そう言うと、俺、ずっとそう思いたかったのかな、とひとりごちた。

俺、やれるじゃんって、思いたかったのかな‥‥。

「でももう、あれ以上の試合が出来る気がしない。だからね、今がいい終わりなんだと思う」

(つづく)

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