
取材・文_宮田有理子 Text_Yuriko Miyata
ふらりと訪れたリトルトーキョーのLAボクシングジムで、田之岡条(小熊)に遭遇した。
7月13日(日)に福島・郡山で予定する二瓶竜弥(DANGAN郡山)とのスーパーバンタム級8回戦に向けた、6月23日から2週間の合宿の最中だった。
あの中谷潤人(M.T)と果てなき高みを目指す名伯楽ルディ・エルナンデスが仕切りを任される同ジムに限らず、昨今、数々のボクサーが日本からやってくる。が正直、田之岡条は、思いがけない顔だった。
2011年に17歳でプロデビューしたイケメンで陽気なアウトボクサーも、いまは31歳。
だがこの年齢になって挑んだ初LAの2週間は、「人は変われる」と、確信できる時間になったという。
2013年の東日本スーパーフライ級新人王。
全日本新人王を獲り逃したとはいえ、厚い国内ホープ競争の一翼だった長身サウスポーは、コロナ禍中の2021年夏、神戸遠征で日本バンタム級14位の田井宜広(RST)に5回終了TKOに敗れて、一度はグローブを吊るした。引き分けを挟んで5連敗。何より田井戦では空回りしたすえ2度倒され、コーナーで負けを受け入れた自分に、あきらめがついたのだ。
「一度心が折れたらボクサーはもうリングに上がるべきじゃないと思いました。タイトルから縁遠いところへきて、やめる理由を求めていたかもしれません」
以来、3年。選手としてではなくても、小熊ジムは大事な居場所だった。父親のように慕う元WBC世界フライ級チャンピオンの小熊正二会長が、好々爺のようにキッズの相手をするジムで、壁板を張ったり、柱を塗ったり、マッチメイクにも関わった。現役中、孫弟子にあたる自分にまで目をかけ、試合前には戦術を記した手紙をくれた名伯楽・石井敏治トレーナーの、「カムバックなんて、考えるんじゃないよ」という言葉を守った。
新日本木村ジムの石井トレーナーは、5年越しで世界王座に返り咲いた小熊会長の恩師。昭和の日本ボクシング界で知性と愛をもってボクサーの勝利と安全を追究し、ジムの垣根を越えて「石井先生」と慕われた人だ。
だが、その言いつけを破ることになった。
縁ある小児医療機関が治療の一環として取り組むスポーツプログラムで、ボクシングを教えるうちに、子どもたちがまっすぐ聞いてきた。「試合しないの?」「試合、見たいよ」
何らかの障害をもつ教え子たちとの関わりは、逆に学びにあふれる。できなかったことができるようになり、他者との関わり方は少しずつでも確かに変化し、優しさがみえる。そんな彼らの言葉を、受け止めた。
「子どもたちのためだけでも、リングに上がってみようか」
“引退中”もジムで4回戦の選手に稽古をつける程度は動いていた。が、プロボクサーとして実戦に戻るのはそれとはわけがちがった。
「なめてましたね……」
昨年5月、復帰初戦はバンタム級6回戦でコーヤ佐藤(伴流)に判定勝ちも、次のスーパーバンタム級8回戦では、鳥井士恩(角海老宝石)に6回負傷判定で引き分けた。
「勝ったと思いましたが、でも“負け”じゃなくてよかった」
子どもたちにきっかけをもらった2度目のボクサー人生。自分はこれからどこを目指すのか。考える日々にこの春、転機があった。
4月末。石井トレーナーが96歳の天寿を全うした。小熊会長とお通夜へ向かった。家族葬と知ってなお一目会ってお別れしようと元弟子たちが集まっていた。その帰り道。田之岡は小熊会長のつぶやきを、聞き逃さなかった。
「“興行をやりてえな”って、会長が。ジムではもう子どもをあやすだけのお爺ちゃんだったのに。闘争心に火がついた、と思いました」
小熊ジムが興行を打つ? それなら相応しいメインイベンターが必要だ――。会長のつぶやきで、ジム現役最古参の野心にも、火がついた。
歯車が回り出すように、それから1週間を待たずに今回の二瓶戦のオファーがかかった。
開催地・郡山は、小熊会長の故郷。復帰後初の対ランカー戦。二瓶竜弥はスーパーバンタム級でWBOアジアパシフィック7位、日本9位にランクされている。
「いずれ会長が興行するなら、タイトルが絡む試合にしないと。ここで勝って、ランキングを獲って、そしてタイトルを獲りにいくっていう……最後のビッグウェーブを起こせるとしたら、今しかない。絶対に、落とせない戦いです」
本気になった田之岡には、心強い伴走者がいる。
元ジムメイト、佐藤涼介。アメリカに渡って10年、博士課程を修了し、カリフォルニア州オレンジカウンティの大学でビジネスを教えながら、プロデビューも果たして3戦3勝3KOという超異色のスーパーミドル級ボクサーだ。井上尚弥のスパーリングパートナーとして名が通る技巧派のフェザー級ジャフェスリー・ラミド(アメリカ)の父EJに師事する。
新人王に参戦していたころの田之岡が、入門してきた佐藤にバンデージの巻き方から教えて始まった仲だが、立場は逆転。本場のボクシングを学び、エッセンスを授けてくれる佐藤は、田之岡にとってなくてはならぬ存在だ。
そんな佐藤からずっと誘われていたロサンゼルス・キャンプを、今回ついに決行した。
6月23日に出発して7月7日に帰国。試合ぎりぎりまでの強行スケジュールを小熊会長が了解するのは、このコンビへの信頼の証にちがいない。
23日に現地入りして佐藤と合流。翌日にはLAジムにエルナンデスを訪ねてスパーリングを申し込み、いきなり洗礼を浴びた。
「“何ラウンドできるか”と聞かれたので“4ラウンド”と答えると、“日本へ帰れよ。最低6回だ”と言われました」
ジュントのように何ラウンドでもやる、というのが、エルナンデスが求めるプロの覚悟なのだ。結果的に初日から、中谷のチームメイトであるエイドリアン・アルバラードとの6ラウンドを含め9ラウンドを踏破。現地ボクサーたちのスパーリングの輪に加わり、WBO世界フライ級チャンピオンのアンソニー・オラスクアガの胸も借りた。
目指しているのは、本来のアウトボクシングの再確認とともに、インサイドでも戦えて、相手にダメージを与えるボクシングだという。キャンプ中の“メインイベント”と位置付けたラミドとの8ラウンドでは、逃げの気持ちを読まれていたと佐藤から厳しい指摘を受けた。が、そのぶん帰国前日の最終スパーは気合いが入った。中谷とも数多く手合わせしている19歳ピーター・マルティネスらとの8ラウンドでは、自分から仕掛けてリズムを作った。そのあとも、エルナンデスがよしと言うまで延々と相手を変えながらマスボクシングを続け、やり遂げると、晴れ晴れとした笑顔をみせた。
「ここは“精神と時の部屋”でした、『ドラゴンボール』の。(過酷な環境ながら、そこでの修行は1日で1年の効果がある特別な部屋)。毎日、限界の扉を開けられました。アウトボクシングしかできないとか、4ラウンドって言ったりとか、今まで自分で自分に限界を作っていたのかも。先週ここに来た時からでも、こんなに強くなったと思える。人は変われるんだ、って思います」
もっと若い時に来ていたら、違うボクサー人生があったかもしれない。だが今、感じられる喜びは、プロ31戦16勝(1KO)9敗6分、甘いも酸いも経験して踏み出したからこそ、あったものなのだろう。
「自分のためにボクシングをしている。いい年して。でもこういうぶっ飛んだヤツがいてもいいでしょう? 今、ボクシングが楽しくて、おもしろくて仕方がないんです」
そんな田之岡条の復帰第3戦。7月13日、郡山のリングでどう戦うのか。楽しみである。
