第10回 Gift
“BUD”の「偉業」とアメリカンボクシングの閉塞感
文_増田 茂 Text by Shigeru Masuda

日本時間9月14日の昼下り、テレンス・クロフォード(アメリカ)対サウル・アルバレス(メキシコ)の世界スーパーミドル級4団体統一タイトル戦が前者の完勝に終わるや、アメリカのボクシングメディアによるクロフォードへの賛美報道が一斉に始まった。およそ6時間後にゴングを迎える井上尚弥(大橋)対ムロジョン・アフマダリエフ(ウズベキスタン)戦などまったく意に介さぬままに……。まるで“アメリカ・ファースト”の全体主義にとりつかれたような異様な状況だった。
◆第1部 Once In A Lifetime
■“UNTOUCHABLE”の夜
PFPランカー&4団体制覇王者同士の階級を超えた戦いというレアなセールスポイントを外してみた場合、「クロフォードは、最近さえないアルバレス相手に実にきれいに、かつ巧く戦い勝利した」というだけのことで、アルバレスの出力が遅ればせながら上がった後半の展開を除けば、試合は比較的淡々としてメリハリを欠く内容だった。
もっとも、「きれいに」という点で予想以上のクオリティだったことは否定できない。パンチ交換のテンポは緩やかだがタイミングの良さが見栄えをもたらし、ダメージングヒットでなくともポイントへの訴求力は高かった。そうしたパンチに徹する点で、クロフォードは井上以上に禁欲的なフルラウンドを過ごし、井上が完全には捨てきれずにいたハードヒットへのこだわりを感じさせなかった。
クロフォードの目論見は1ラウンドから見てとれた。中間距離で右ジャブのダブル。続いてアウトサイドから左フック。また右ジャブで打ち出し、軌道を変えてガード上を叩き、とりあえず先手を押さえた印象を与えた。
セオリー通りの逆時計回りを主体に、逆回りのステップとまめに使い分け、中間距離内のパンチ交換では、右足は常にアルバレスの左足のアウトサイドを押さえていた。
アルバレスが踏み込んで左ボディフックを狙い打っても、たちまち右ショートカウンターを合わされ、続けて右ボディを打ちに行くと右ショートフックが飛んできた。
それではと、アウトサイドにステップしようにも、クロフォードはステップバックして間を外し、パンチを右・左と先に置いていく。
ジャブは1発目を軽く当ててアルバレスの出足をいったん弛め、さらに踏み込んでくるところ、2発目をやや強めにカウンター。
離れてジャブや軽打で時間を潰してアルバレスに打たせ、ミスを誘っては打つクロフォードのパターンが序盤からはまっていた。

6ラウンドにアルバレスの右の打ち出しに合わせてヒットした左ストレートのカウンターは、9ラウンドにフラットなスタンスからクリーンヒットした左ストレートからの左フックと並び、この日のベストパンチだろう。
中盤以降、アルバレスのプレスが強まり、ミスブローを厭わずに繋ぐパンチが増えると、クロフォードのリターンがそれまでのように届かなくなってきた。だが、効かないパンチを軽視して横着に当てさせてしまうアルバレスは、どうにもペースを掌握できずにいた。
いかに後半勝負の目論見であってもクロフォードにすっかり読まれており、乗せてしまったのは迂闊の誹りを免れえまい。
11ラウンドには旧敵ゲンナジー・ゴロフキン(カザフスタン)ばりの打ち下ろしの右フック(ロシアンフック)まで打ち出したがヒットせず。逆にクロフォードのインサイド左アッパー、左ボディストレートと、よりコンパクトなパンチを食ってしまう。
クロフォードの右ジャブを無造作にもらったアルバレスの、嫌気がさしたような表情と仕草が印象的だった。
実際の被ヒット数(最多被ヒット数は2013年のフロイド・メイウェザー戦で232)を別問題とすれば、アルバレスがこれほど無策にパンチを食い続けたのは初めてのことだ。
アルバレスのグローブはレイジェス内に持つプライベートブランドNo Boxing No Lifeのブラック。クロフォードはEverlastのメキシカンタイプでホワイト基調。一見して膨張色のクロフォードのグローブの方が大きく感じられ、両者ともに互いのグローブを叩くことが多かった。アルバレスにとっては不本意ながら、そしてクロフォードは意図的に……。
井上尚弥もインスパイアされたと語っていた“UNTOUCHABLEの夜”アメリカ編はクロフォードの快挙に終わったが、それは延々と続くエピローグの幕開けでもあった。
■再戦への思惑とZuffa Boxingの影
クロフォードの完勝イメージとは裏腹の、115対113が2人に116対112という小差のオフィシャルスコアには違和感が拭えなかった。アルバレス対メイウェザー戦、対ゴロフキン第1戦。またドミトリー・ビボル(ロシア/当時)戦等と同種のきな臭さも漂った。
さらに、そのスコアに迎合するかのような数値がPUNCH STATSに現れている。この一戦のパンチデータを測定したメディア3社の数値が奇妙に食い違っているのだ。

知名度ではまだ一歩譲るJabbr.AIは、プログラミングされたAIに映像を読み込ませてSTATSを解析する新参企業で、興行には関与せず立ち位置はニュートラル。だが数値上はこれが試合イメージに最も合致する。リング誌がオフィシャルデータとするCOMPUBOXと打ち出し数はほぼ重なるが、ヒット数の点で後者はやけにアルバレス寄りと言える。また場内スクリーンに大写しされていたNetflix独自のSTATSは何とも作為的で問題外だ。
ラウンド毎のヒット数の推移をグラフ化すると、総パンチ数とヒット数だけでは読めない試合の流れがみえてくる。Jabbr.AIのカウントではクロフォードがヒット数でアルバレスに劣ったラウンドはないが、COMPUBOX版では2、4、5、10、12と5ラウンドもアルバレスが上回ったことになっている。
その後、実質的完敗で4団体統一王座を追われたアルバレスを、IBFを除くWBC、WBA、WBOの3団体が揃って1位にランクしたことで、ある疑念が確信に変わった。
それは、興行関係筋が一体となって合作に努めた、試合契約に含まれる再戦の必然性を 印象づけるための数字上の辻褄合わせだ。


何しろ、会場のアレジアント・スタジアムを埋めた観客は7万482人と、ラスベガスでのプロボクシング興行で史上最多レコード。ゲート収入も4723万1887ドルで史上3位。Netflixによるストリーミング配信の視聴数は全世界で4140万件と21世紀以降のプロボクシングで最多を記録した。試合報酬総額もアルバレスが1億5000万ドル。クロフォードが5000万ドルと、それぞれ過去最高だった。当然、再戦興行の成功も約束されている。
アメリカのビッグファイトのたびに用いられる大仰なキャッチコピーは玉石混交だが、今回の“Once In A Lifetime”「生涯唯一度の」は、Talking Headsによる1981年の楽曲からタイトルだけパクったものだろう。
それが今度は“Once Again”となりそうな気配が濃厚に漂っていた。年1試合という新王者クロフォードの基本スケジュールを尊重し、再戦はアルバレスが再起戦をクリアした後、来秋をめどに実施。そんなブループリントもまことしやかに囁かれていた。
ところが一転、まもなくアルバレスがクロフォード戦で左ヒジを負傷し、10月下旬に予定される手術のため、最低2ヵ月間は練習から離脱を余儀なくされると発表された。周囲の意向とは裏腹に、当のアルバレス本人が自信喪失状態に陥ってしまったための時間稼ぎとの風評も流れていた。
だが、より大きな問題はリング外にあった。この試合の興行を手掛けたZuffa Boxingだ。Zuffaはラスベガスを本拠とする格闘技プロモーション企業だが、サウジアラビア総合娯楽庁のトゥルキ・アルシェイク長官とUFCのCEOであるダナ・ホワイト、Netflixと業務提携関係にあるWWE社長ニック・カーン(共にアメリカ)らが、その関連会社として担うプロボクシング専門の合弁プロモーション会社がZuffa Boxingである。
同社はトップランクやマッチルームとは異なり、今後は興行の企画・運営のみならず、リングマガジン・ベルトをシンボルとして独自の世界タイトルとランキングを作成。クラスも現状の17階級を改編(削減)し既存の統轄団体の手を介さずに興行をまわす、プロボクシングの一括管理を目論んでいる。つまり、トゥルキ氏が以前から公言する個人的思い込みを具現化するための組織にほかならない。
計画が具体的に進めば、当然のこと現主要4団体とのさまざまな軋轢が不可避となろう。もしクロフォードが6階級制覇を目指すなら軋轢の渦中に身を置くのは得策ではない。一方、アルバレスもトゥルキ氏のコントロール下にあるRiyadh Seasonとの試合契約を2試合残しているが、Zuffaに身を委ねてしまうにはWBCのハードルが高い。いずれにせよ“Once Again”は泡沫化寸前の危機にある。
9月29日、Zuffaの上部組織TKO GroupHoldingsがストリーミングの一方のトップ企業PARAMOUNTを持つSkydance Corporationと、南北米大陸全土に及ぶZuffa Boxingの独占放映契約を結んだことが発表された。
ちなみに、アメリカの経済誌ForbesによればTKO傘下のUFCとWWEだけで24年度の年間収益合計はおよそ18億ドル。ボクシングではマッチルーム、トップランク、PBC、ゴールデンボーイの4社合わせて2.5億ドルだ。そうした経済規模の下で、プロボクシングは既存の秩序崩壊の危機に瀕している。
<第2部に続く>